市長選挙の投票日に、投票所の小学校に行って、らっこが驚いたお話です。
投票所はツレが通った小学校でもあり、短い時間でしたがツレは懐かしそうにあちこち眺めていました。
プールの近くに更衣室になるような建物が見当たらなかったので
「男も女もみんな教室で着替えていたよ?」
な、なんと…
40数年前の小学校にはプール用の更衣室がなかったということでした。
びっくりしちゃいました。
当然だった人からすると驚くことではないのでしょうけれど、なんかちょっと、考えちゃったわ。
家に帰ってから「プールの授業の後、塗れた体はどこで拭いていたんですか?」と時間差で気になったので尋ねてみると、
「教室にたどり着く間にだいたい乾くだろうう?子どもの体だもん」
子どもの体って言ったってなぁ……
今のらっこの体格よりも大きい子だっていただろうし……
「足は?ビショビショのまま教室に行くんですか?」
「??どうだったかなあ……?」
上履きとは別でサンダルを用意していたような気もするようでしたが、はっきりとは覚えていないとのことでした。
いろいろ思い出させてすみません。
らっこも自分の小学校時代のプール記憶をたどると、ギリギリぼんやりと更衣室の前に散乱した上履きのイメージが思い浮かんだ程度でした。
裸足の足で濡れたすのこの上で着替えていたことははっきりと覚えています。
乾いていないすのこがヌルヌルして気持ち悪いと思っていたからです。
(学年が上がるにつれて慣れて平気になったような気もします。図々しくなった?図太くなった?)
らっこの更衣室での着替えも、ツレの教室での着替えも、ゴム付きのタオルをかぶって(男性は腰にひっかけて)着替えていたのは一緒だったみたいです。
今はどうやって着替えているのか気になりましたが、誰に聞くこともなく。
ただ久し振りに、自分もプールに入りたいなと思った暑い夏の日でした。
そして誰よりも泳ぎたがっているのは
こぎ母でした。
子どもの頃?何歳ぐらいの頃の記憶なのかわかりませんが
「兄さんが馬で馬車をひいて、近所のみんなで馬車に乗って海水浴に行ったんだよ」
こぎ母がよくする思い出ばなしのひとつです。
海水浴が楽しかったのはもちろんでしょうけれど、「馬車でみんなで行った」ことが大切な思い出なのかなあと勝手に想像。
こぎ母が海の話を始めると、こぎ母が子どもの頃に行った宮城県の海と、こぎ母の子どもたちが子どもの頃に行った神奈川の海と区別できないことも多いのですが、海に行きたい気持ちはいつも心のどこかにありそうです。
夏だろうが冬だろうが、海やプールに行きたいと話すこともあります。
プールに介助付きで入るとか、無理だと決めつけずに考えて意見を求めれば可能な場合もあるかもしれないと思う半分は、いいやいいや、無理でしょうと、思考が閉店してしまいます。
どこかの浜辺で足パシャパシャくらいでなんとか。
なんとか。
読んでくださり、ありがとうございます。