我が家のご飯は連れが準備をしてくれて、お箸と箸置きを並べるのが母の仕事になっている。
晩ご飯のお米とぎとみそ汁、野菜サラダの下ごしらえなども、回復期リハビリテーション病院を退院して帰宅して当時に比べると、ずいぶん手際がよくなってきた。
ひところは調理の途中で自分が何を作っていたのかがわからなくなってしまい、泣き出してしまうこともあったものだ。
一緒に台所に立つ連れには、辛抱強く母と向き合ってくれていることに本当に感謝の言葉しかない。
食事についてはすべて連れに任せているので、私の知らないところでもっと苦労があるはずだ。
そして、連れに面倒をかけていることを母が一番わかっていて、1日の終わりには必ず「今日も一日ありがとうございました。」と連れに挨拶をしてから就寝するのが母の日課になっている。
しかし、今日は少し様子が違って、お昼の「いただきます。」をしようかというときに、一旦席に着いた椅子から立ち上がりずいぶんとかしこまって話し始めた。
要介護者にも意思はある
「今日はどうしても話しておきたいことがある。」
話がかみ合わなくなることもある母だが、ずいぶん真剣な顔をしてしゃべり始めた。
脳内出血を起こしてから記憶があいまいな部分はあるものの、私と連れの将来については常に気にかけてくれているのが本当によくわかる。
今日もまたいつものように「いつ結婚するのか?」的な話になるのかと思っていた。
しかし、そうではなくて現在の自分があるのは私と連れ、そして誰より献身的に母の世話をしている父にお礼の言葉を伝えたいということだった。
健康な人が歩くと我が家から5分ほどで行ける距離に神社があり、午前中に父と散歩がてらに行ってきたそうだ。
神社に行って、自分が脳卒中を起こす前の元の自分に戻ったことを強く感じたらしい。
そして元の自分に戻れたのは私と連れ、父のおかげだと思って、その感謝の気持ちを伝えるタイミングが、ちょうど家族全員がそろう昼食時になったわけだ。
椅子からすっくと立ちあがったときには、どこへ行くのかと家族全員が思ったものだが、母にはきちんと意思があったのだ。
おかげさまですっかり元通りになりました。
本当にありがとうございました。
私と連れ、父ひとりひとりに深々と頭を下げ、涙を流しながら母は感謝の言葉を述べた。
思わず私も胸が熱くなった。
母の要介護状態は、ときにむしろ悪化しているのではと思うこともある。
でも、母の中では脳出血の後遺症である高次脳機能障害についても、すっかり治ったことになっているのだろう。
何十年も前のことをしっかり覚えていて、私たちがびっくりすることもあれば、直前に飲んだはずの薬のことは一切覚えていないなど、実生活では母には介助が必須だ。
それでも根が明るい母の性格は脳梗塞発症後も変わらず、日々の暮らしで家族に笑いを与えてくれている。
要介護者ではあるものの、明るい母でいてくれることに、むしろ家族が感謝したいほどだ。
介護する家族の負担軽減には難しい部分も
現在は月に一度ケアマネージャーが来てくれて、母や家族の介護プランの見直しをしてくれる。
先日提案されたのは、デイサービスをもう1日増やしてみてはどうかというものだった。
今は以下のような介護プランになっている。
- 月曜日:お風呂付きデイサービス(1日)
- 水曜日:運動型リハビリ(半日)
- 木曜日:訪問リハビリ(1時間)
私と連れはともかく、父がフリーになれるのが月曜日しかなく、負担が大きいのではないかとケアマネージャーは感じたようだ。
お風呂には2日に1回、私が母と一緒に入る。
お風呂には夕方までには入らないと、母の眠さの限界が来てしまうことから、私の仕事を中断して入ることになる。
そのため、母と家でお風呂に入る日が減ると私も少しは負担が減る。
しかし、父はデイサービスを1日増やすというケアマネージャーの提案は断った。
その理由は、母をデイサービスに送り出すには早起きをする必要があるためだ。
午前9時前にデイサービスの送迎がやってくるため、父は8時ごろまでに母の身支度を整えたいらしい。
1時間も前に出発準備を完了させるのは早すぎと誰もが思うだろう。
父には几帳面さがあだとなっている病的な部分があり、完璧な準備をして相手を待つというのが昔から変わらない。
送迎がやってくる30分も前に、玄関に母と座って待機している姿を見たこともある。
81歳という年齢からくる頑固さもあってか、私たちが何を言っても自分の考えを曲げることはないのだ。
8時ごろまでに母の身支度を終えるためには、6時半には起床、朝ご飯の準備をして母に食べさせる必要がある。
ひとりで着替えることも難しい現在の母の状態では、忙しい朝を迎える日がもう一日増えることの方が父にとっては負担なのかもしれない。
介護には実際に携わってみないと見えてこない問題があることを実感する。
在宅介護は母の幸せもそうだが、介護する家族の幸せを考えさせられる。