三度の飯より本を愛するこぎ父(こーぎーの父親(80歳))より、読書感想文が届きました。
今回ご紹介するのは、1994年に南窓社から出版された『子どもの民俗社会学』です。
子どもの民俗社会学を読んで
昨日(31年2月2日)付の新聞に宮城県登米市の火伏せの奇祭「米川の水かぶり」の記事が載った。
地元の男衆が裸にわら装束をまとい、顔にすすを塗って、火の神の使いの化身「水かぶり」になった。「ホーホー」と奇声をあげながら、手桶の水を家々の屋根にかけ回るらしい。
(こーぎー補足: 2019年2月2日朝日新聞より)
昨年ユネスコの無形文化財のひとつに登録されたもの。
その記事を見て、同じく宮城県石巻出身の妻が、幼いころの「カラスホイホイ」のことを話してくれた。
小正月に、用の済んだ正月飾りを長い竹の先にまとめて括りつけ掲げ、早朝競って「カラスホイホイ」と叫びながら田んぼにその竹を立てたのだと。
登米の叫び「ホーホー」と「ホイホイ」は何か共通した天への崇めの認識があるのだろうか。
そんな宮城県の伝統行事を各地隈無く歩き、所謂フィールドワークとして研究し、その中から子供たちの行事を中心に、所謂通過儀礼としての子供たち同士の絆、それに係る大人たちの習俗をまとめたのがこの本だ。
著者は地元仙台出身の東北大学 社会学者だ。
宮城県東部気仙沼地方の「ナナツヤマ」
七歳を迎えると子供たちは親達に連れられ(女人禁制だから父或いは伯(叔)父さんと)一緒に羽田山へ「お山がけ」。
南三陸、歌津、寄木浜の「ササヨ」
この辺りは漁村だ。小正月の十五日の夜に男子(七歳から十五歳まで)たちが集まって唄い込みをしながら「フライキ」(大漁旗)を掲げて村中を廻り歩く。
所謂舟唄、船の神様に漁の安全を祈願する。
セィーヤァーノ
おめでたい アラヨイサン
めでたい 重なるどェー
お船霊 アラヨーイ
取らせる魚 授け給えナー
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小さい子供たちは意味も分からず歌詞を仕込まれる。
南部地方角田、金津の「タナバタ」
七夕が近づくと、タナバタ小屋を作り、或いは大きな家の納屋などを借りてあそびの拠点とする。
七夕飾りを作ること、子供たちがそこを宿にして皆で炊事して一緒に食事をしたりした。
七夕の夜にはちょうちん行列をする。(カラオクリ)
奥松島、月浜「エンズノワリ」
男子(七歳から十五歳)は「天神講」に入り、(こーぎー補足:年序階梯制)小正月の前から五十鈴神社の横にある「ナガトコ」という岩屋で一週間「お籠もり」して一緒の生活をする。
そして小正月には自分たちで作った「エズノワリの棒」を持って大漁を祈願する唄をうたい、唱えごとをしながら全戸を祝って回る。
宮城県最北端の町、唐桑町の小原木「えびっしょ」
この辺りは漁業関係で生計を立てている。
小正月の十五日の夜に子供たちが集まって唄い込みを歌いながらムラの全戸を回り歩く。
「えびっしょ」というのは「恵比寿魚」が歌って歩く唄い込みの囃子ことばで子供の口なりに縮まり崩れて、「えびっすしょぉ」となったものらしい。
この「恵比寿魚」とは一般には大漁の神として鯛であることが多いが、この辺りでは鰹のことである。
この人たちにとっては、鰹が最も大切な特別の魚だった。
鰹の漁不漁は、この地域に住む人たちの生活を左右し、ムラの浮沈もこの漁のなりゆきと成果にかかっていた。
直に「神の魚」であった。
「えびっしょ」とは目出度い正月には欠かすことの出来ない神へ捧げる供物であり、「ハレの日」に海のものを神と一緒に食べるという慣わしにとっても、なくてはならないものであった。
この行事も九歳から十五歳位までの男子に限られ、鰹を木で模して作って全戸に配り歩くのである。
その「かつ」を作るため、山へ材料の木を取りに行くことから始まる。
この「かつ」作りは、秋の刈り入れ作業が終る頃から大人に手伝ってもらての材料の木伐りから始まる。
そして子供たちが各自競って作り始めることになる。
立派な「かつ」を配れば褒められるし祝儀もはずむものであった。
目を入れ、潮水で清められ
「かつ」が「恵比寿魚」になるのである。
こうして、いよいよ小正月が始まる。
さいごに
この本には、上記のほか、各地の子供行事が紹介され興味は尽きない。
農漁村では過疎地が進み、大人同士の絆も薄くなり、伝統的な行事も廃れ、連れて、子供同士の付き合いも少なくなってきている現在、このような大人・子供を合わせた地域活性化ができたら嬉しい事である。
紹介されている地域は、先の東北大震災で大きな被害を蒙り、復興途上の処も多い。
その復興の明しの一助となることを切に望むものである。