介護 暮らし

私はどこにいたらいい?家で一番長く過ごしてきた母の居場所は台所

台所で調理する母

多くの人がそうであるように、私の場合もある日突然始まった身内の介護。

在宅介護が始まってから一年ほど経ち、ようやく落ち着いた日常を過ごせるようになりました。

こぎ母の顔です。困った感じの表情です。私はどこにいたらいい?

 
食事まで間があるときや、父、私と連れそれぞれが何かしらの仕事をしていると、何をすればいいのか自分で判断できない81歳の母が、たまにポツリとつぶやきます。

私たち家族は、母に寂しい思いをさせていたことにそのとき気づくのです。

母は要介護2ではありますが、家族が少し補助してあげることで日常生活のほとんどを問題なく過ごすことができるのです。

自分が何もしていないのに周りがせかせかと動く様子に、罪悪感のようなものを感じるのかもしれません。

脳内出血を起こしてから直近の記憶が飛んでしまいがちな母ですが、ふとしたタイミングで自分が主婦であることを思い出すのでしょう。

こぎ母の顔です。困ったようなかなしいような。これからどうやって生きていけばいいのかわからない・・・。

 
こんなセリフを言うこともありますが、母にはまだまだ前向きに生きていきたいという強い思いがあるようです。

ひところは「そのまま逝かせてほしかった。」なんて家族を悲しませるような言葉を発する時期もあったのですが、脳卒中から約一年、以前と同じような明るい母に戻りつつあります。

回復期リハビリテーション病院退院時には要介護1だった介護認定が、脳卒中発症から1年後に要介護2になりました。

同居している家族にはわからない程度のゆっくりしたスピードで、母の状態は悪化しているという事実を私たち家族は受け入れなければなりません。

 

夕食づくりが母の日課

お米をとぐ母

今食べている食事が朝食なのか、昼食なのか、夕食なのか、時々母は混乱してしまいます。

それでも夕食のお味噌汁づくりとお米とぎは自分の担当であることをしっかり覚えています。

たまに夕食を終えた後に「晩ご飯のお米は何合?」と、勘違いの質問を連れにすることもありますが、毎日夕方になるとお味噌汁づくりとお米とぎ、サラダづくりなど、比較的簡単に作れるメニューをお願いしています。

父が調理に連れ添うのですが、父はもともと短気であるため、思うように調理を進められない母にプレッシャーをかけてしまいがちなのが心配ではあります。

サラダ用のキャベツの千切りがみじん切りになってしまったり、みそ汁の具材がみじん切りになってしまったりすることもよくあります。

そのような母の行動が、父からすると相当イライラすることも多いのでしょう。

私や連れが気づいたときは、父を台所から避難させることで解決するのですが、父がいら立っていることを母は敏感に感じ取っているはずです。

母自身も思うように調理ができないもどかしさは相当に感じているのではないかと思います。

頭と行動が一致しないもどかしさとでもいいましょうか。

私たち家族においしいものを食べさせたいという母の気持ちがわかるだけに、とても切ない気持ちになります。

 

お皿洗いも大事な母の仕事

台所に立つ母

こぎ母の顔です。笑顔忘れていたら教えてね。

 
「私のリハビリだから。」と、母は進んで食事後のお皿洗いを買って出ます。

ただ、一旦トイレに行くなど席をはずしてしまうと、お皿洗いのことを忘れたまま台所に戻らないことも多いのです。

後から本人も思い出すのか、「ごめんなさい。お皿洗い忘れていたら教えてね。」と、自分でできる家事をこなして家族の役に立ちたいという強い意志を感じます。

調理やお皿洗いで台所に立つ母の後姿を見ると、脳内出血で倒れ一時半身麻痺状態になったとは思えないほどシャキッとしています。

頭がついてこなくても体が覚えているのでしょうか、お皿洗いの手つきは板についたものです。

自分の仕事をしているという実感が嬉しいのか、調理やお皿洗いをしている時の母の顔はとても満足げに見えます。

もう何十年も台所に立つ母を見てきていますが、やはり「歳とったなぁ。」というのが息子である私の実感です。

そういう私も今年で53歳、「歳とったなぁ。」は私にも当てはまりますね。

 

母の居場所

夕食は両親と私と連れの4人で、1時間以上かけて取ることが多いでしょうか。

母はよく自分の回復の手伝いをしてくれた人たちに恩返しをしたいと口にします。

こぎ母の顔です。うるうる「お世話になった人にどうすれば恩返しができるかねぇ。」

 
こぎ父の顔です。笑顔。「お母さんが元気でいることが何よりの恩返しだよ。」

 
もともとが世話好きな母なので、常に他人のことを気にかけてしまう性格は脳内出血発症後も変わらないようです。

特に現在食事の準備一切を引き受けてくれている連れのことはとても気にかけていて、ことあるごとに「らっこさん疲れてない?」と私に聞いてきます。

連れの家事負担を少しでも減らしてあげたいという母の気持ちを強く感じます。

私たち家族は母に「お母さんができることをしてくれたら、それで十分。」と話すのですが、本当は脳卒中を起こす前のように、家事一切を母が切り盛りしたいのだと思います。

とりわけ料理については母の食欲が旺盛なこともあり、連れに作り方をよく聞いています。

やはり母には家族のための食事を作りたいという気持ちが強くあるのを感じます。

思い起こせば、居間は父の書斎がわり、母は読書も書き物も台所で済ませていました。

母が家の中でもっとも長い時間を過ごしていたのは台所だったのでしょう。

火気の心配があるので母を台所に一人にするのは心配なのですが、今度母に「私はどこにいたらいい?」と聞かれたら、台所で一緒に時間を過ごすことにしてみます。

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