なんともまあ嬉しいことに、シャインマスカットをまたいただきました。
「ぶどうが輝いている」とツレに言われて目を向けてみると、確かにキラキラ輝いているようにも見えました。
光の具合か何かなのでしょうけれど、本当に「シャイン」なマスカットなんだなと実感しました。
何日か前にいただいた時も、こぎ母はシャインマスカットの皮を食べられずに出してしまっていましたが、今度はどうかな…?
やっぱりだめみたいで、薄いシャインマスカットの皮をなんとか絞り出すように口から出していました。
皮も食べられますよアピールを今回もやってみましたが、どうしても皮はかたいと言って口から出します。
薄い皮を出す方が大変な気もするのですけれど、口に残るのだそうです。
「皮だけちゃんととる方法はないかなあ」
「全部食べればいいんだよ」
「私は皮だけを出す方法で食べてるよ。実だけ食べる」
「皮も食べていいんだよ」
「こうやって食べるといいよ!ここを少し傷つけて、ぺってこうやってこうやって…」
「皮も食べたほうがいいんだよ」
「私は小さい時から皮を残す方法を覚えているから、やっぱりこういうのは育ちだね」
皮ごと食べている3人に、皮の上手なむき方をレクチャーしようとするこぎ母に、『食べられる』は届きません。
どうしても気になってしまうのでしょう。
こぎ母以外は皮ごと食べているので、競争にならないんですけどね。
なかなかどうして、かたいお煎餅もへっちゃらで食べられるこぎ母にとってぶどうの皮は、どんなに薄くても「食べることのできないかたい皮」でしかないようでした。
「習慣なんだろうね。食べたいように食べればいいよ」とこぎ父。
一粒ずつ皮を出しながら食べるので、面倒そうだなとも思ったのですが、食べる食べる。(笑)
こんな風に食べていたわけではありませんけどね。
おいしく食べられるってそれがもう何よりです。
読んでくださりありがとうございます。