その日、こぎ母にはいつものように夕飯の支度をしてもらっていました。
お米研ぎと、お味噌汁作りの野菜切りです。
要介護2のこぎ母に、支度の全部をやってもらうことは現実としては難しいです。
それでも、料理を作りたがってくださるこぎ母のできる範囲を探っていくうちに、この作業ならばとよくしてもらうようになったこぎ母の仕事です。
食べる時間から逆算して炊飯器のスイッチを入れるとか、お味噌汁の鍋を火にかけて仕上げに味噌を入れるとか、おかずを作るのはらっこがしています。
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このお話は、今から1年程前の出来事です。
文字数多めです。読みにくくってごめんんさい。
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この頃、いつもツレが台所でこぎ母の様子を見守ってくれていました。
時々はこぎ父が見守り、極稀に、らっこも台所を覗いたりしていました。
見守りをしないらっこがすることは、献立を考えてこぎ母の今日のお仕事がわかるように、その日にやってもらう作業を書いたメモを用意することです。
その日はツレは外出中。
こぎ母が最初に取り掛かるお米研ぎは、こぎ父が見守ってくださっていたようでした。
こぎ母の作業は動きもゆっくりで、それなりに時間もかかります。
ずーーーーーっと付きっきりでこぎ母に付き添っているというのも現実的ではありません。
時々抜けてはほかの用事を済ませてまた戻ったり。
台所以外でするあんなことやこんなことを並行しながら付き添うようなイメージです。
そんなわけですからしばらくするとこぎ父もお台所から席を外し、こぎ母がおひとりで味噌汁作りに取り掛かったようでした。
扉から覗くらっこ(覗いただけで部屋に戻る)
しばらくするとこぎ父の声がお台所から聞こえてきます。
ん?
こぎ母も何か言っているみたい。
扉の隙間から覗くと(覗くんかい)
こぎ母が発していた言葉はなかなか厳しい言葉だったので、らっこはもう忘れました。てへっ
さてさて、何があったのでしょう。
この状況の説明には、もう少し補足が必要ですね。
まず、こーぎー家では10キロのお米を買っています。
以前こぎ母が一人で台所全般を担っていた頃は、10キロ入りの米袋は床下に収納されていました。
ほぼ毎日お米を研ぐのに、そのたびに毎度重たい椅子を移動させ(椅子が重くて移動が大変だとこぎ母がこぎ父に訴え、らっこが居候するようになってから今でも使っている軽い椅子に買い替えてます)重たい床下収納のふたを開け、かがみこむようにして床下からお米をすくい取る~みたいなことをされていました。
こぎ母が入院してからお米を研ぐようになったらっこは、暫くはこぎ母と同じやり方でやっていました。
しかし、いざ自分がやると見ていた以上に毎回面倒。
そこでまず、米袋を床下収納からは取り出して床上に移動させました。
10キロのお米を仕舞うのに適当な収納スペースの余裕はなくて、結局邪魔にならなそうな壁際に置くだけ。
こぎ母が退院をしてお米研ぎをするようになると、米袋が床上にあったとしても、しゃがみこんで袋を開けたりお米を取り分ける作業はこぎ母にはさせられない。
どうしようかなと。
10キロの米袋から少しずつ大ぶりのタッパーに移し替えて、タッパーを米びつ代わりに使うことにしました。
タッパーを流しの作業スペースの上に置き、こぎ母にお米を量ってもらって作業してもらうということです。
タッパーの中身が減ると、らっこかこぎ父が買ってきた米袋から適当に継ぎ足しをしてまたこぎ母にタッパーに入れたお米から使ってもらう~~そんな風にしていました。
この日の米びつタッパーは、残量が少々少なめ。
気が付いていたのでその時につぎ足せば良かったのですが、今日使う3合分くらいはありそうだからまあいいやと、後回しにして残量少なめのままでこぎ母にお米を3合研いでもらっていました。
話は戻ります。
扉からのぞいたこぎ母は、どうやら米研ぎを終えてお味噌汁を作るために野菜を切っていた途中。
はたと米研ぎが済んでいることを忘れてもう一度、お米をボールに入れて3合量ろうとしたのにお米が足りない!
(タッパーへの詰め替えはこぎ母はしたことはないです。たぶんできないかな?)
タッパーに足りる分のお米を用意していなかったらっこに、試されて意地悪をされたと思って激おこぷんぷん丸状態。
そんなこぎ母をこぎ父がなだめているという状況のようでした。
米研ぎ1回分の3合は足りたけれど、忘れてもう一回研ごうとしたときには3合分には足りなかったというわけです。
はい。
確かにらっこが悪いです。
しばらく扉から様子を眺めていましたが、あんまりにもこぎ母がぷんぷん丸さんだったので、
私は極悪で意地悪な人間なんですよ?
今まで気が付かなかったんですか~?
とでも声をかけてみようかという好奇心が沸き起こりました。
台所に入ってこぎ母の様子をうかがっていると、らっこが何かを言う前にこぎ父がこそっと
「ごめんね。勘違いしてるんだよ」
とらっこに言ってくださったのでした。
なんかもう、らっこがごめんなさいでした。
時々こっそり覗いていないで、ちゃんと近くにいてこぎ母が2度目のお米研ぎを始めようとしたときに声をかけられれば……
お米をつぎ足していれば……
こぎ母の視界に入るところにいたのならば……
たらればを考えなくもなかったですが、まあ、近くにいたらいたでなんだかやっぱり怒らせてしまっていたような……
そのうちに、視線は合いませんでしたがこぎ母が、ふっとらっこの気配に気が付いたのかなと思いました。
悪口っぽい言葉を言わなくなり、こぎ父の誘導でお味噌汁づくりに戻ったようでした。
直接文句を言いたい相手には言わない。
だけどこぎ母にとって心安いこぎ父には、胸の内を全部吐き出す。
そんな状態かなと。
そんな時には社会性というものなのでしょうか、自分の気持ちを言うべきではない相手がそこにいるのだというような「認知」がきちんとできているのかもしれないなと思ってみたりしました。
あるいは、今、なんで自分が怒ってたのかを、もう忘れてしまったのかなあとか。
お米をご自分で研いだということはもう思い出せないでしょうけど、らっこに激おこだったことは覚えていそうだなぁとか思ってみたり。
私はやってないよ(自分でやったお米研ぎのこと。らっこが黙ってやったと思っている)
こんな失敗初めてだ
ひどい
試されたんだ
こんな意地悪なこと
失敗するなんて初めて
意地悪だ!!!
頻繁にではありませんが、時々起こるこぎ母の癇癪。
様子を見ていると、時間がたてば怒った出来事も忘れて普段と変わらなくされているようにも見えたりしますが、どうしたって消耗はしてしまうのですよね。
お互いに。
こぎ母のためにも対応するこぎ父のためにも、少しでも穏やかでいられる時間が長く有れればいいなと思います。
ちなみにですが、2022年の夏現在。
こぎ母のお台所仕事の見守りは、なんとなくですが順繰り順繰り、誰かが付きっきりで付いていることもありますが、それよりも時々誰かがのぞいて様子を見て、時々声をかけて作業を促して――そんな感じでしています。
米びつタッパーが引き続き活用できていますけれど、移し替えるお米の量には気を付けています。
微妙に少ないと計量カップにすくうことができなくて(できないのです。難しいみたい)、
タッパーにたっぷりだと計量カップですくいながらタッパーの外に盛大にこぼしてしまったり(空間の認知が難しいのか、山盛りよそったカップから割りばしで「すりきり」するときにこぼしてしまうみたい)。
少なすぎず多すぎないようにお米を詰め替えしています。
こぎ母がやりたいと思うことをできるときに、できることをやってもらえていたらいいなと思いながら、扉からそっと見守る今日この頃のらっこです。
最後まで、読んでくださりありがとうございます。