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今、伝えたいこと。2020年最後の日|らっこ

2020年がもうすぐ終わりを迎えようとしていますね。

いかがお過ごしでしょうか。

12月30日はらっこの誕生日でした。(おめでとう?ありがとう!)

今の思いを記しておきたく、この文章を書いています。

 

何が言いたいかといいますと、今が辛くても苦しくても、大丈夫だよ。大丈夫だから、どうか今を諦めないで。

一緒だよ。

一緒だから。

 

 

 

らっこ、何を急に語りだすんだ?という気もしますが、伝えたいと思う相手がいるのですが、直接伝えることが憚れるので直接は言わないのですが伝えたいなと思いましてね。

 

 

実家の母親に、

『こうであってほしい』

『こうだったらいいのに』

という思いを、やんわり、遠回しではなく、正にらっこの願いのど真ん中をメールではありますが伝えてみました。

 

「お父さんと仲良く暮らしてほしい」

 

1年の終りに何を伝えようかと考えた時に、少し前に実家に帰って感じたことを伝えてみようかと、らっこの願いはそこだったんだなと、自分でしみじみそういうことだったんだなと気が付いたので、伝えてみました。

メールででしたけど。

子どもが親に願うことって、こんなものかと。

やっぱり自分はこの両親の子どもなんだなと、久しぶりに実家で過ごして実感したのでした。実家だけに。

返ってきた言葉は、

 

『はい。仲良くやっていきます、できるだけ。』

 

期待してしまった子どもとしての自分の愚かな願望。

願えば叶えられるんじゃないかと、相手に変わってほしいと願ってしまった自分。

期待が決して叶えられないことへの絶望。

やっぱり期待してしまっていたんだと気が付いた自分の幼さ。

 

夫婦で、家族で仲良く暮らせないのはらっこの問題ではないので、らっこが何かをどうしようとか、どうあってほしいとか、願ってどうにかなることではなかったことに気が付いた年末でした。

らっこの実家は、らっこが帰る場所ではなくなっていました。

そして、らっこには心安いツレがそばにいてくれることの喜び。

らっこを受け入れてくださっているこぎ父とこぎ母のいるこーぎー家が、らっこの帰る場所でした。

らっこが実家に帰る前、ツレが、

「帰る場所があっていいなあ」

と言ってくれていたのですが、ツレがらっこの帰る場所になってくれていることの喜びで、涙が不思議と溢れます。

らっこがツレの帰る場所であれる喜び。

「自分には、そんな風に思える相手がいないよ」

ほんの数年前のらっこはそんな風に思っていました。

「誰もいないよ。自分になんか、そんな相手はいない」

たぶん、らっこが「大丈夫だよ」と伝えたいその人も、そんな思いも抱えているんじゃないかと勝手に想像してしまいます。

想像です。

らっこはその人とは物理的に一緒にはいませんし、「こうすればいいんじゃないか」「ああしたらいいんじゃないか」と、その人をコントロールするかのようなことを思うのはお門違いだと自覚はしています。

だからこそ、伝えないけど願うような、祈るような、一緒なんだよと思っている人がこの世界のどこかにいるんだよということを伝えたくて、だけど伝えられなくて、この場を借りてしたためています。

せめてこの瞬間くらいは安らかな気持ちで迎えられたらいいなと、新年を前に思うらっこでした。

 

読んでくださりありがとうございます。

良い年をお迎えください。

生きとし生けるすべてのものと、生きとし生けないすべてのものも、安寧であれますように。 合掌

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