上の写真は郵便ポストにお使いを頼まれた母の後ろ姿。
手提げにポスト投函するための書類が入っています。
大人の足で10分ほどのところにある郵便ポストまでは、父か母の友人が一緒に付き添います。
母が脳内出血で緊急入院したのは、ちょうど2年前のバレンタインの朝。
一時は左半身麻痺となり、左の視力もほぼなくなってしまい、退院後は車いすでの生活になることを覚悟しました。
もちろん、本人の努力もあったと思いますが、幸いにも介助なしで自分の足で歩けるまでに回復したのです。
母の左手、左足は触られても感覚がない状態でしたので、本当に運がよかったのだと思います。
今では食事の下ごしらえ、食器洗いなど簡単な家事もこなせるようになりました。
リハビリテーション病院退院時は要介護1だったのですが、2度目の認定では要介護2になり、介護保険の観点からは歓迎すべき認定だと思っています。
一緒に暮らしていると気づきにくいのだと思いますが、少しずつ老化現象は進行しているのですね。
同じことを何度も聞いたり、直前の出来事をすぐに忘れてしまうのは、82歳ならそんなものと思うようになりました。
リハビリテーション病院退院後の母と一緒に暮らし始めたころは、家族全員戸惑うことが色々とありました。
子どものころ祖母と同居していたことがあるので、私の場合、全く初めての介護ではありません。
ただ、ある日突然介護しなければならなくなってしまったことに、戸惑ってしまったのだと思います。
幸いにも父がまだ健康なので、母の介護のほとんどは父がしている状態です。
母が脳内出血で倒れた当時、ちょうど私の仕事がうまくいかなくなり、母の介護と仕事探しを同時にしなければならない状況でした。
しかし、母の介護を父一人に押し付けたまま外へ働きに出るのには不安があり、連れにも協力してもらうことにしました。
仕事はもともと生計を立てていたアフィリエイトに注力しながら、アウトドア関連のネットショップも立ち上げ、それぞれの収入をかき集めて何とか暮らしている感じです。
どうしても母中心の生活スタイルになるので、自分たちの自由時間は本当に限られます。
特に父には自由時間を作ってあげないと、そのうち精神衛生上よくないことが起きないかと心配ではあります。
母が起きている間は、誰かしらが見守りをする必要があるため、家族全員気が休まる時間というのはまずありません。
それでも毎日寝る直前に、「今日も1日ありがとうございました。」と挨拶にやってくる母を見ると、そんなことはどうでもよくなってしまうのです。
1日1日を母が無事に過ごしてくれたら、それだけでいいんです。
歯磨きチェックをしてあげたり、一緒にお風呂に入ったりしていると、それが当たり前のことに思えてきます。
要介護の母と2年暮らしてみて、そんな風に考えられるようになりました。
私たち家族と同じように、ある日突然介護が始まり戸惑っていたりするのであれば、2年ほど頑張ってみてほしいと思います。
2年なんてと思うかもしれませんが、介護が始まると2年なんてあっという間です。