こぎ母は3ヶ月に1度、精神神経科と脳神経内科に通っています。
付き添いはいつもこぎ父で、らっこは付き添ったことがないので詳細や大事なことはよくわかっていません。
脳卒中で倒れる前からかかっていた物忘れ外来が精神神経科で、脳卒中後の経過を見守っているのが脳神経内科だと思います。
たぶん。
受診の後、家に帰ったら病院でどうだったのかと、ツレと話を聞いていますが(こぎ父から)「オッケーでしたよ。大丈夫」と言った報告ばかりで、あまり詳細は聞きません。
ひょっとすると、詳しく話すだけの診察内容でもないのかもわかりませんが、大きな変化なく過ごせている証拠だと思っておきます。
こぎ母からは、「今?私どこに行ってきたの?」と逆に質問される状態ですので、病院でどうだったのかとか尋ねることはしていません。
その日、おやつの時間にお茶をした後、こぎ母が洗って片づけてくださったティーセットがコチラ。
みつけた時、できる100のことよりも、できない10に目を向けてしまっているだけだと自分に言い聞かせ、定位置に戻しました。
いつも感じるということではないのですが、ときどき、自分だったらやらないだろうなと思う形(?)にこぎ母がしているのを見た時に、小さな「こわい」と言う感情が沸き上がります。
自分の考えが及ぶ世界ではないところの現象(?)に不安を感じるのでしょうか。
どんな表現をしたらいいのかわからないのですが、分かりやすい単語を当てはめるとそれは、今のところ「こわい」だったりします。
たぶん、らっこがちょっと疲れている時なのかと自己判断しています。
らっこが不安にならない安心できる形は、こんな感じ。
ふぅ。
おそらく、どこにどう戻したらいいのかわからなくなってしまったけれど、誰も呼ばずに頼らずにご自分で最後まで片づけをやり遂げてくださった成果なんだったんだと思います。
たぶん。
何科の先生に言われた話か分かりませんが(こぎ父に確認せいや)、
「何かに興味を持って感動したりするのはとても大切なことなんだって。興味を持たなくなるとね。ね。」
こぎ父がそんな風に話してくださいました。
当人であるこぎ母は、こぎ父の隣で「何のこと?」と訝しんだ顔をしています。
日々安寧であれますよう、いつもよりも少し強く願った一日でした。
読んでくださりありがとうございます。
生きとし生けるすべてのものが安寧であれますように。合掌