左手をつねっても、左足をさすっても触られている感覚がなくなってしまった私の母。
「私の左手はどこ?」と、右手で左肩をたどりながら自分の左手の存在を確かめるという、見ていて切ない時期もありました。
私の母は右脳の脳内出血を起こしたために、左半身が麻痺状態になってしまったのです。
脳内出血が起こったであろう時間から8時間以上たって救急車を手配したので、あの時すぐに救急車を呼んでいればと家族で後悔したこともありました。
しかし、母の精力的なリハビリへの取り組みもあり、奇跡的に左半身の麻痺状態は治ったのです。
一時は車いす生活をも覚悟したのですが、今では母が台所に立つ日も多くなりました。
このブログでは、脳内出血の治療後、要介護1の認定を受けた母との日常を不定期に綴っています。
脳卒中発症は冬のお風呂場
お風呂場と脱衣所の温度差が脳出血などを引き起こす「ヒートショック」については、私も注意しなければと思っていたので、母には脱衣所用にセラミックヒーターもプレゼントしていました。
母の様子がおかしくなったのはシャワーを使おうとした時で、急に蛇口が見えなくなってしまったたため、お風呂場から父に助けを求めたようです。
父の話を聞くと、おそらくその時には脳内出血が始まっていたのかもしれません。
一晩寝かせればよくなるだろうという父の判断で、その日はそのまま母を寝かせることにしたのです。
翌朝、トイレへ立とうとした母は自力で立ち上がることができず、やや排便と排尿があったため救急車を呼ぶことになりました。
母の病状は右脳の脳内出血
救急車で病院へ運ばれたあとは、脳卒中専門の集中治療室へ入院することになりました。
救急車に同乗した父以外の家族が病室へ駆け付けた時には、母の左手左足はまったく問題なく動いていました。
特に普段の母と変わらない様子に家族全員安堵したのですが、脳内の再出血がないとも限らず、1か月程度の入院が必要だろうと医師からは話がありました。
損傷した脳の反対側、つまり右脳の出血であれば身体の左側に障害が出るというのはよく聞くので、母の左手左足がちゃんと動くのを見た時は神様に感謝したものです。
入院後2週間目に脳の緊急手術
入院してから2日目、母は脳卒中専門の集中治療室で手厚い看護を受けていたのですが、左半身の麻痺が始まりました。
前日は動かすことができた左手も、ピクリとも動かなくなってしまいました。
右脳の出血の後遺症か、左目の視力が著しく低下しているようで、ベッドに寝ている母親の顔を覗き込まないと人がいることを認識できないこともありました。
入院後2~3日はまだ触られている感覚があった左手左足も、徐々に感覚がなくなり入院後10日ほどすると、母の左手左足は自分で動かすことが完全にできなくなり、他人に触られている感覚もなくなってしまいました。
このときは、さすがに家族全員、今後の母の生活が車いすになることを覚悟しました。
このころから母の意識がはっきりしなくなり、常に眠たいような感じで、話もうまくかみ合わなくなります。
母が救急車で運ばれてから2週間目、左半身麻痺の状態を懸念した医師が頭のCTを撮り診断をすると、再び脳内に出血が見られるとのことで翌日急遽手術をすることになりました。
術後の経過は良好
脳内に溜まった液体が神経を圧迫しているため、おそらく左半身の麻痺につながっているのだろうという医師の見立てどおり、手術後2日ほどすると母の左手左足に感覚が戻り始めました。
この時はまた母が自分の足で歩けるようになるとは想像できなかったのですが、理学療法士と本人の頑張りもあって今は介助なしで歩けるようになりました。
現在は下の写真のように、私の連れと一緒に台所に立つことも少なくありません。
脳内出血による後遺症
母の場合、右脳の出血なのでその反対側、つまり体の右側に後遺症が出やすいというのは医師から聞いていました。
我が家の場合、脳卒中で半身不随になった祖母との同居経験があるので、母が車いす生活になっても日常生活はなんとかなるという思いはありました。
半側空間失認、半側空間無視
上述した手足の麻痺も左ですし、左側に意識が行かない「半側空間失認」ないし「半側空間無視」といった症状があります。
左目の視力も以前のようには戻らないため、より左側に意識が行かないといったことにつながるようです。
良く見える右側を常に向いているというような状態が1か月ほどは続いたと思います。
これも理学療法士、作業療法士による訓練のおかげで、今では正面を向いてまっすぐ歩けるようにもなりました。
高次脳機能障害
脳卒中を起こす前から母は自ら「物忘れ外来」へ通っていました。
自分でも色々なことをすぐに思い出せなかったりするのが気になり、アルツハイマー予防を兼ねて通院していたのです。
「物忘れ外来」では脳のCTなども撮るので、母が脳出血を起こした時は「通院していたのに何で?」と思ったものです。
回復期リハビリテーション病院に入院しているころから、孫の名前や嫁の名前がなかなか思い出せなかったり、同じことを繰り返し質問するようになりました。
高次脳機能障害の記憶障害にあたる行動が多いと思います。
また、私が母と一緒にお風呂に入ると、タオルで何をするのか、シャンプーやリンスを使う順番がわからないといった遂行機能障害も見られます。
「体を洗うんだよ。」
「頭を洗うんだよ。」
このように誘導してあげると自分でやり始めますが、そもそも81歳という母の年齢を考えると、記憶障害も遂行機能障害も歳なりなんじゃないかとも思えます。
リハビリ期間
母のケースでは、脳卒中で入院してから1か月半後に回復期リハビリテーション病院へ転院しました。
脳卒中専門の集中治療室がある大病院の一般病棟で、約1か月基本的なリハビリ訓練を受け、回復期リハビリテーション病院へ転院するころには歩行器なしで歩けるぐらいにまで回復しました。
回復期リハビリテーション病院へ転院してから約2ヶ月、自宅へ帰って生活するためのリハビリ訓練をうけました。
母が脳出血を発症してからちょうど100日目、その間1回自宅へのお泊り外泊を経て、家で家族と暮らしたいという母と私たちの願いが叶うこととなりました。
現在は週に一度のお風呂付デイサービス、週に一度の作業療法士の訪問、週に一度の運動型半日リハビリ施設へ通っています。
リハビリ方法
母の場合、特に左側に意識が行かない半側空間無視の症状が重かったので、左を徹底的に意識させる訓練がメインでした。
テーブル一面にカードを広げて、あえて母の見えていないであろう左側にあるカードを探させたり、右から左へ物を動かしたりといった地道な訓練が多かったようです。
少し油断すると左側にあるドアに頭をぶつけてしまったりといった危険な状況が多々あるので、この半側空間無視については、家族も十分留意するようにと病院からアドバイスされています。
家族の役割
「包丁は怖いから嫌!」と退院後かたくなに料理することを拒んでいた母が、再び台所に立つようになったきっかけはデイサービスでした。
デイサービスで共同で食事を作ったのがよっぼと楽しかったんでしょう。
初めて行ったデイサービスから帰ってくるなり、「もう包丁怖くない!」とその日の様子を楽しそうに話してくれて母はまるで子供のように目を輝かせていました。
そんな母にとっての幸せな日を、1日でも多く作ってあげるのが家族の役割なのかなと、最近よく思います。
人は歳を取ると子供に帰っていくとよく聞きますが、母が笑うと本当にかわいいんです。
楽しそうに1日の出来事を話す母を見ていると、同じことを何度も聞かれようが、話がかみ合わずにイライラすることなど、そんなことはどうでもよくなってしまいます。
これまで母が自分にしてくれた恩返しを、どんな風にして返そうかなと、そんなことを毎日考えながら母と一緒に暮らしています。