こんな風になるなんて思ってなかったからさぁ・・・。
みんなに迷惑かけて・・・。
出て行きたくても、ほかに行くところがないからさぁ・・・。
要介護1の母が、突然涙をポロポロ流しながらつぶやいた言葉です。
直接介護にかかわっていると何度も同じことを聞かれたりして、ときに煩わしさを感じたりイライラ感を募らせてしまう自分に気づくことがあります。
涙を流してしまうほどやり場のない気持ちを母が感じていたことに、私は気づかないふりをしていたのかもしれません。
母は高次脳機能障害で直近の記憶がなくなってしまったり、話がうまくかみ合わないこともあるのですが、自分が人の世話になっていることは常に意識としてあるようです。
自らの意思で母の世話をしているつもりなのですが、行動のどこかに母を不安にさせるようなそぶりを母は敏感に感じ取っていたのかもしれません。
母がずっと家にいたいと心の底から思ってくれるような毎日を過ごせればいいのですが、現実はなかなか難しいものがあります。
このサイト(らっこぎ)は日常生活にちょこっと介助が必要な母、献身的に母の世話をする父、私(50代前半)と連れ(30代前半)の4人で暮らす日常を綴るブログです。
母の涙の意味
冒頭でご紹介した母のセリフは、夕食が終わり家族でお茶を飲んでいるとき、母が突然涙を流しながらつぶやいたものです。
特に「出て行きたくても、ほかに行くところがない・・・」の言葉には胸が詰まりました。
脳内出血で入院する前には普通にできたことが、現在の自分には思うようにできないことをわかっているのでしょう。
家族に迷惑をかけて自分が生活できているという考え方をしているのだと思います。
健常者も老いればいずれ誰でも要介護者、障がい者になると私は思っています。
なので、母には誰かに迷惑をかけないと自分が生きていけないという考え方はしてほしくない・・・。
母が以前よく話していましたが、人が亡くなるのも順番、誰かの世話になるのも順番・・・。
ただ、「頭がおかしくなったら施設に入れて頂戴。」とはよく言っていました。
当時は冗談のつもりで聞き流していたのですが、いざ要介護1の状態で自宅に戻ってきた母にとっては、まさに母が当時懸念していた状態に近いのではないかと思うのです。
いつも台所に立って1日3食用意をしていた母が、現在はひとりでは調理をすることができません。
野菜を切ったり、皮をむいたりと包丁も使えるのですが、切った野菜で何を作るのかといったことが料理の途中でわからなくなってしまうことが多々あります。
次に何をしたらいいのかという情報がうまく脳から伝わらないようで、行動が止まってしまうことに母本人も歯がゆさを感じているのがわかることもあります。
煮物を作っている途中で何を作っているのかわからなくなってしまい、突然泣き出してしまったこともあります。
今の我が家は、母の世話をしながら一緒に料理を作ってくれる連れの存在なくしては成り立たなくなっています。
そうした自分の行動と、誰かの助けを借りないとできないことがあるということを、母が一番わかっているのかもしれません。
そうした複雑な感情も、今の母にはうまく言葉にすることができないのでしょう。
おそらく、そうした思いが涙になって表れたのだろうと思います。
切ない言葉
回復期リハビリテーション病院できっちりと訓練をしてくれたおかげで、母は帰宅時からひとりで歯磨きをすることができました。
入院する以前はデンタルフロスも使っていたのですが、視力と指先の動きにやや難があり、退院後は私が母のデンタルフロス係になりました。
母にデンタルフロスの使い方を教えているうち昔の感覚が蘇ったのか、現在はフロスを適当な長さで渡してあげると時間はかかりますが一人で使えるようになりました。
我が家は私のインプラント成功をきっかけに、両親もインプラント治療にかなりの金額を費やしています。
なので、長生きしないと元が取れない・・・。
そうした経緯もあり、口内の衛生管理には家族全員が真剣に取り組むようになりました。
おかげで、両親ともに80代の前半ですが、せんべいでもたくあんでも好きなものを自分の歯で食べられるという幸せな食生活を送ることができています。
母の就寝前の歯磨きを見るのが私の役目になっていて、たまにフロスで取れない食べかすなどがあると「ちょっと見て。」と母に呼ばれることもあります。
歯の間に物が挟まったままだと、すごく気持ちが悪いですよね。
そういったデリケートな感覚がまだ母にもあることが、いわゆるぼけているわけではないことを私たち家族も実感できてうれしくなります。
母の歯磨きの最後の仕上げに、私がデンタルフロスをひととおり通し直すのですが、とても気持ちがいいのか、いつもすごく喜んでくれます。
最後に口内の殺菌にうがい薬でうがいをしたあと、母がポツリとつぶやきました。
ずっとここに居られたらいいね・・・。
昨夜、私と連れが仕事部屋で「いずれ老人ホームを探す必要もあるかもね。」と話していたのを聞いていたかのような母のセリフに、少しドキッとしました。
現在は父と私、連れの3人で母の生活の介助をしていますが、いつかは自宅での生活が困難になることを、母自身もわかっているのでしょう。
最後まで我が家で暮らすことが母の願いであると思っています。
今は毎日、何をすれば母が喜んでくれるのかを考えながら生活しています。