母が脳卒中で緊急入院してから今日で77日目。
救急病院から回復期リハビリテーション病院へ転院してからというもの、母の回復ぶりには目覚ましいものがあり、介助なしで散歩ができるまでになりました。
一時は左半身が麻痺状態になり、家族は今後の生活が相当大変なものになることを覚悟したものです。
今日は私の誕生日でもあり、病院から母の外出が許可されたため、一時帰宅して私の誕生日を祝ってもらうことになりました。
お泊り帰宅から一時帰宅へ変更
当初、病院からの提案で一泊の一時帰宅が計画されたのですが、少し前に母がリハビリを頑張りすぎたせいか体調を崩してしまいました。
そのため、10時~16時ごろまで自宅で過ごして病院へ帰る一時帰宅をすることになりました。
環境の変化や刺激の少ない入院生活を長く続けていると、中にはうつ状態になってしまう人もいるそうで、今の母の状態であれば外に連れ出してあげるのもいいリハビリになるそうです。
実に77日ぶりの帰宅になるので、母だけでなく私たち家族も昨日からやや神経質になっており、連れは朝体調を崩してしまいました。
車の乗り降りも問題なし
朝10時を目安に母を迎えに行くと、ちょうど午前のリハビリが終わるところで、トイレを済ませてから病院の玄関へ向かいました。
父が母の見えづらい左側に付き添って歩きますが、ふらつくこともなくしっかりと歩く姿を見て、私は本当に安堵しました。
一時はもう歩くどころか一生寝たきりになってしまうんじゃないかと思うぐらい、母の状態はおもわしくなかった時期がありました。
普通乗用車に比べると狭くて乗り降りしづらい軽自動車の助手席にも、すんなり座ることができて、これならどこへでも連れていけると思いました。
視力の回復が目覚ましい
車から見える久しぶりの流れる景色に、母はとても気持ちよさそうな顔をしています。
差し出した手の指の本数を数えるのも難しいぐらい、一時は視力も低下していたのですが、道路の行き先案内や看板の文字もちゃんと見えるようになっていました。
右の脳内出血だったので、やはり左側が見えづらいという後遺症はまだ残っているようですが、本人はそれを不便とは感じていないようなので、周りが気をつけてあげれば十分に普通の暮らしができると思います。
足取りもしっかり
我が家の場合、駐車場へ車を入れてしまうと乗り降りするには狭くなってしまうので、道路に車を停めて母を降ろすことにしました。
母は自分で車の扉をつかんで、特に介助しなくてもひとりで乗り降りはできそうです。
道路から家の玄関まで、2か所の段差があるのですが、別段つまずく様子もなく足取りはしっかりしています。
特に靴を脱いでから家へ上がる段差がもっともきついはずなのですが、リハビリの効果か、立ったまま靴を脱いで普通に家に上がることができました。
母が大好きなものを口にする
家に帰ったらひとつでいいから甘いものを食べさせてほしいと、母は父に伝えていました。
病院ではお菓子類が出ないので、母が喜びそうなスイーツを考えていたところ、兄が私の誕生日と母の一時帰宅祝いを兼ねてケーキを買ってきてくれました。
お昼には母が大好きな「ほや貝」の刺身、デザートには念願の甘いものを口にすることができて、「夢を見ているよう」と母は話していました。
布団からの起き上がりもできるように
もともと予定されていた一泊の外泊帰宅では、家に介護ベッドが必要かどうかを見極める目的もあり、リハビリでは布団からの起き上がり訓練も受けていました。
お昼過ぎに地域包括支援センターから社会福祉士が母の様子を見にやってきた際、実際に布団を敷いて母が布団から起き上がれるか実践してもらうことになりました。
なんと、母はごく普通に布団から起き上がることができて、その社会福祉士も母の回復ぶりには驚いていました。
現状、介護ベッドは必要ないという結論になりました。
夢のような一日
母の様子を見にやってきた社会福祉士が帰った後、母は1時間ほどお昼寝をして、病院へ戻ることになります。
今回の帰宅で、家でのトイレは2回、ひとりでズボンを上げてトイレから出てくることができるのは確認できました。
便座の定位置に座らせるのに、少し手伝いが必要かなという程度で、あとはお風呂に入ることができれば自宅へ戻ることができそうです。
トイレとお風呂に手すりが必要な程度で、特に大きな家の改修をする必要もなさそうです。
また母と暮らせる日がそんなに遠くないうちにやってくると思います。
病院へ戻る際に母が言っていた「今日は夢のような一日だった。」という言葉が印象的です。
文句も言わず家のことをしてくれている連れには負担が大きいはずですが、自分たちができる間は以前のように両親と連れの4人で暮らしたいと考えています。