うちの裏山(大嘘)が黄色く色づいてきた頃、西日に照らされた山を見たこぎ母が
「おやつを食べよう」と声をかけたツレに、興奮したように感動的な景色を力説しました。
窓ガラスに張り付いて山を眺めるこぎ母に、ツレの声は届いていないのか。
ツレもしばらく一緒に眺めていました。
「この綺麗さをノートに書いて残しておきたいのに、なんて書いたらいいかわからないのよ…」
「思ったように書いたらいいんだよ」
お二人のやり取りを、ひとりお先におやつのアイスを食べながら眺めるらっこでした。
なにこの状況。
ふふふふ。
小さい子どもって、大人に「なんで?どうして?」といろんなことを質問するそうですね。
らっこは子どもを育てたことが無いのでよくわからないのですが、こぎ母は、まるで子どもが大人に問いかけるように何でもかんでもこぎ父に尋ねます。
「なんで?」「どうして?」
病気をする以前からそういったコミュニケーションをとっていたような気もするのですが、なんとなく、要介護になってからさらに「なんで?」が増えたように感じています。
時々、こぎ母はこぎ父のことを全知全能の神か何かかと思っているのかしら?なんて思うこともあります。
ツレはこの時のようにわからないことは「わからないよ?」と答えなかったりしているのですが、こぎ父はなんにでも答えを示そうとされています。
こぎ父だったら「こんな風に書いたらいいんじゃない?」と答えを示しそうです。
思いがけない「なんで?」は時にまるで攻撃のような気がして消耗してしまうようなこともありますから、こぎ父が上手く対処できればいいなあと思ったり思わなかったりそんな日々です。
ああ、らっこはなんて答えるかですか?
らっこはですねぇ。
求められておりません。