昔、こーぎー家で飼っていた柴犬・チロのお墓参りに行って来ました。
お供えものは、チロの好物だったちくわ。
帰り道、「昼間の白い月がよく見えるよ」とこぎ父。
白い月。
随分久しぶりに見た気分です。
昼間に空を見上げることが随分久しぶりだったのだと気が付いてちょっぴりショックを受けました。
空を見上げるのが久しぶりだったなんて。
上を向いて歩きたいぜ。
帰りにスーパーに寄ってお買い物。
スーパーで買ったお菓子をおやつに、近所の公園でお花見がてら、ひと休み。
桜が見ごろでした。
こぎ父の話では、以前は近所の人がシートをひろげてお花見をしていたほどの桜がきれいな公園だそうです。
今は誰も宴会はしていないのでしょう。
お墓参りにお花見におやつ、みんなでいい気分で帰宅となりました。
こぎ母は、家の外に出かけることでご自分の生家や土地、畑や田んぼが気になる感情が膨らむのかしらと思うようになりました。
出かけなくても実家のことは気にされていますが、出かけた後には強くなるような気配とでも言いましょうか。
もう何年も帰っていない実家に帰りたくなって、簡単に帰れるような気になるのでしょうか。
「おっぴさん」とは、宮城の方言で「ひいおばあさん・ひいおじいさん」のことを言うそうなのですが、こぎ母が言う「おっぴさん」とは、こぎ母の「おばあさん」のことです。
ちなみに、こぎ母の言う「おっぴさん」とは「おじいさんのお母さん」、つまりは「おっぴさんがおじいさんのお母さん」なわけでして、なんかもう、興奮してきてしまったようなわけです。
こ自分の実家が気になるあまり、役場に行きたがるこぎ母なのでした。
一晩寝たら、チロのお墓参りに行ったことや桜を眺めた記憶は通り過ぎ、実家のことを調べに役場に行きたいという感情だけが残りそうな気がするらっこでした。
こぎ母が心配している「家のこと」は、もちろん役場に行ったからと何かがどうにかなることではないのですが、役場に行けば何かが解決でもするかのような信仰があるのでしょうか。
役場に行きたいとは何度もずっと言われていることなのですが、「行ってもしょうがない」がもう、本人に通じないんです。
うん。
どうしようかな。
「役場にみんなで行きましょう」って言って、安心されられる……のか……?
役場に行く気はこぎ母以外、誰もさらさらないわけですけど。
(こぎ母が行きたがっている役場は、市町村合併で消滅済みだそうです)
安心させてあげることでご本人の気持ちが安定するのなら、「行きましょうね」って嘘をつくのがいい気がしてきたらっこでした。
ご実家の家も土地も、後継ぎではないこぎ母がどうこう言っても仕方がないことだということが、こぎ母にはもう通じません。
通じないことは分かっているのに、こぎ母が言い出すと「また言い出したな……」なんて煩わしい気持ちがプカンと浮かび上がることもあるのが現状。
こんな風に文章にしてみていたら、それなら「実家のことを気にかけている気持ち」に寄り添って、安心させてあげるように嘘をつくのがいいような気がしてきました。
ツレにもそんな風に話したら、
「なるほどな、そうだね」
と安心させてあげるための嘘に共感してくれました。
家や土地のことは仕方がありませんが、「役場には一緒に行きましょうね」で安心してもらえるか、安心してもらったら「役場に行きたい」と言うことも減ってくれるかな?と。
これからやってみようと思いました。
チロのお墓参りに関しても、こぎ母が脳出血で入院した後、退院して自宅に帰ってから頻繁に「チロのお墓参りに行きたい」と言うようになったのでした。
不自由が残るカラダで出かけることに、こぎ父もツレも抵抗があったと思います。
「涼しくなったら行こうね」「温かくなったら行こうね」と季節のせいにして行かずに騙し騙し 1年。
昨年、やっと思い切って4人でお参りに行きました。
その後、行ったことを覚えていなかったりもするのですが、そういえば「チロのお墓参りに行きたい」とは言わなくなったと思います。
今年のお墓参りも、こぎ父が「明日行こう」と伝えても、こぎ母からは「そう?」といった感じで特にはリアクションがありませんでした。
そんなもんなのでしょうか。
寄り添う……
安心させてあげる……
ああ、らっこにはそれが難しいぞ……
読んでくださりありがとうございます。