要介護者と暮らす大変さは、実際に自身がその環境に身を置いてみて初めてわかる。
私(こーぎー)の場合も母が脳内出血で入院するまでは、どこか他人事のように思っていた。
50代にもなると、両親ともに健在な友人は珍しい。
平均寿命が延びているとはいえ、たいていは親のどちらかが他界、もしくは要介護状態にある友人がほとんど。
83歳の父はいまだ健在、そして80歳まで母もピンピンしていたことを考えると、かなりレアなケースだろう。
「頭の線が1本切れたら終わり。」
脳内出血を起こす前の母がよく言っていたセリフだ。
他人事だった親の介護は、ある朝突然始まる。
話には聞いていたが、その日は本当に突然やってきた。
前の晩、生き生きと夕食のカレーを作っていた母は、翌朝自力で起き上がれなくなってしまった。
緊急入院、緊急手術、そして本人の精力的なリハビリへの取り組みで、車いす生活は免れた。
一時期は片目がほぼ見えなくなり、半身まひ状態になったことから、家族は退院後の生活を覚悟したものだ。
もともとが大らかな母が、退院後も変わらず明るくいてくれるのは本当に救いだ。
歳を取ると子供に帰ると聞いたことがあるが、今の母を見ているとそれが本当であることがよくわかる。
脳内出血の後遺症もあると思うが、そもそもが現在83歳という高齢。
認知症が進んでいるのか、歳なりなのか・・・。
ただ、母と一緒に洗面所で歯磨きをしていた先日のこと。
母が私を神妙な面持ちで見ながら「あなたは誰?」となった。
いずれはそんな日も来るかとは思っていたが、突然すぎて少し驚いてしまった。
「俺だよ。こーぎーだよ。」
私が説明すると最終的に「あ~そうか。」とはなるものの、それを理解するのに時間がかかる。
「私が結婚した人はどこ?」
父と結婚したことは覚えているものの、ついさっきまで隣で一緒に食事していた父の名前や存在を忘れてしまうことも増えてきた。
一緒に暮らしている私の連れの名前を忘れてしまうことも少なくない。
母が一人で用を足せなくなった時が、施設への入居の目安と考えている。
「あなたは誰?」も、その時期が確実に近づいていることの予兆かと思うと切ない・・・。
実の母に「あなたは誰?」と面と向かって言われると、結構キツイものがある。
頭ではわかっていても、寂しくもあり、悲しくもあるような複雑な気持ちだ。
あとどれくらい、大好きな母と一緒に暮らせるだろうか。