こぎ母が深いため息をつきました。
「嘘つきは泥棒の始まりですよ」
こぎ父に言い放ちました。
「今日も寝てばっかりで何にもしないで、パクパク食べるばっかりで」
こぎ母が、申し訳なさそうに夕飯を食べながらよく言う言葉です。
「そんなことないよ?今日は寝てないよ」
こぎ父は本当のことを言います。
「寝てたわよ~」
こぎ母も言い返します。
「ほんとだってば。今日は寝てないよ。お米も研いで、お味噌汁だってお母さんが作ったんだよ」
「うっそだ~。らっこさんが作ってくれたんでしょ?」
いいえ。らっこは作っていません。
「見てごらん?お母さんが作ったんだよ?」
「まったく。嘘つきは泥棒の始まりですよ」
そんな一幕でした。
もちろん、話を聞いているツレも私も、こぎ父が嘘をついていないことを分かっています。
こぎ母が、自分が数時間前にしたことを忘れてしまっているのです。
それでも、嘘つきはなんたらかんたらなんて、そこまで強い口調で言い返すことはこれまでありませんでした。
ご自分の記憶と相手の言葉とが一致しなくて、怒りになってしまったのでしょうか。
調子がいい時と言うべきか、体調がいい時なんかだと、
こぎ父の言葉ですんなり思い出せることもあるようです。
調子が悪い時ですと、
本当のことを話すこぎ父が「嘘つき」になります。
「知りません」
と言ったり、
「覚えていません」
と言ったり。
覚えていないという認識ができている時は、それでも調子がいいのでしょうか。
こぎ母が経験した昔ばなし(こぎ父と出会う前のことなどなど)を、こぎ父が
「ああだったんでしょ?こうだったんだってね」
などと流暢に話して聞かせると、
「なんでお父さんがそんなこと知っているの?」
「お母さんから聞いたんだよ」
この掛け合いがセットになっています。
お父さんも、いったい何度同じ話を聞いて覚えたのかわかりませんが、本人よりも覚えているようです。
思い出話が深くなると、
こぎ父の話を聞いて、こぎ母がどこまで思い出しているのかは本人にしかわかりませんが、こぎ父の記憶力に感心して、ヨイショすることもあります。
嘘つきは泥棒の始まり
なかなか随分強めの真向否定の言葉。
悲しいとか悲しくないとか考えたら、それは悲しい。
言われたのは自分じゃないけど、悲しい。
でも、自分の覚えている記憶と、好きな人が言っている出来事が違っていたとしたら、その時自分は、好きな人を「嘘つき」と言うだろうか。
もしかしたら、自分の記憶違いかもしれないと思って、好きな人の言葉を100パーセント信じられるだろうか。
信じたいと思いながら疑いそうだ。
こぎ母はこぎ父が大好きです。
見ていてわかるくらいには。
仲がいいから言うのだろうか?
信頼しているから言えるのだろうか?
こぎ母の物忘れに関しては、お医者さんによるところ、「年相応」らしいです。
年相応。
悲しいとか悲しくないとか、考えないようにしようと思ったらっこです。
読んでくださり、ありがとうございます。