晩御飯に久しぶりのカレーを作り、『美味しくできたね。』と家族全員に言われて上機嫌だった母。
もしも、あのとき母のカレーライスを二度と口にすることができないかもしれないとわかっていたら、きっと無理してでも何杯もお代わりをしていたに違いありません。
夕食には家族で食卓を囲みながら、いつもの笑顔で冗談を飛ばしていた母の様子が急変したのは翌日朝のことでした。
脳卒中の前兆
その日は突然にやってきました。
『頭の血管が1本切れたら終わりだからね。』と、普段から脳卒中や脳梗塞についての心構えはあったはずの母ですが、特に家族がきづく前兆などがないところが、脳卒中や脳梗塞の怖さだと言います。
朝方、2階の寝室へ急ぎ足でやってきた父のただならぬ雰囲気の言葉で、眠りについて2時間ほどであったものの、一気に私の眠気は覚めました。
『お母さんが大変だ・・・。』
言葉にしなくても、父が私にすぐ1階に下りてきてほしいことはわかりました。
私と連れのふたりが両親の寝室へ行ってみると、布団の上に横向きで目を閉じたまま動かない母がいました。
父の話によると、前日夜に入ったお風呂場で水道の蛇口がどこにあるかわからなくなってしまったそう。
今思えば、そのときすでに脳出血が始まっていたのかもしれません。
脳内出血による視野狭窄で、いつもは見えているはずの水道の蛇口が見えなくなってしまったのでしょう。
このとき病院に搬送していれば、身体半分の麻痺ということにはならなかったのかもしれないと思うと、母には申し訳ない気持ちでいっぱいです。
目が開かなくても母にはまだもうろうとした意識があり、便意をもよおしていることがわかりました。
父によると、起きてすぐに自分でトイレへ行こうと立ち上がったところ、おそらく左手、左足には麻痺が始まっていたのでしょう、転んでしまい頭には大きなたんこぶができていました。
布団の上で少し排泄をしてしまい、本人も気持ちの悪いことをしきりに訴えていたため、父親と私で抱えてトイレへ連れていき、連れに介助をお願いしました。
なんとか会話はできる状態ですが、母の体に重大なことが起きていることは確信できました。
連れに母のトイレの後始末をお願いして、父が病院へ行く準備をはじめ、私が救急に連絡を取りました。
緊急入院
消防署が近いこともあり、すぐに救急車が到着しました。
このところ婦人科へ通っていたかかりつけの病院に搬送されることになり、父が付き添いで、私は親族への連絡係として家に残ることにしました。
兄夫婦、姪っ子も病院に駆けつけてくれ、搬送から3時間ほどすると、右の脳卒中であることがわかりました。
少なくとも2~3週間の入院が必要で、脳内出血が止まらなければ手術の可能性もあるとのこと。
しかし、手術をするときは覚悟をして臨むことになる旨、主治医から話がありました。
右の脳を損傷すると、左半身に影響が出るというのは知っているので、手術の必要がなくても元の生活に戻れる可能性は低そうです。
夕食のとき、あんなに元気だった母が・・・、と思うと胸が苦しくなります。
集中治療室での様子
救急車で搬送されるときには会話もおぼつかない状態だったものの、脳卒中専門の集中治療室で再開した母は、完全とはいかないものの意思の疎通ができる程度に回復していました。
家族みんなで心配していた左半身の麻痺については、左手の指が動くこと、左足を触る感触がわかることは確認できました。
左手が動く様子を見て、家族全員一度は安堵したのですが、入院2日目から左手、左足の麻痺が始まることになります。
自分に何が起こっているのかよくわからず不安なのか、きつく握った父の手を話そうとしない母の姿がとても切ないです。
介護保険の申請
兄が社会福祉士をしていることもあり、病院のすぐ近くにある市役所へ同行してもらい、入院初日に介護保険の申請を済ませました。
実際に介護保険が適用されるのは母が家に帰ってくる時なのですが、手続きをするのが面倒になる前にしておこうということになりました。
家に介護、介助ができる家族が何人いるかなどで、いろいろと適用条件も変わるようなので、私にとってもわからないことばかりです。
私の家には昔、祖母が一緒に暮らしており、介護保険のしくみについては父は経験者なので心強いです。
父はすでに年金暮らしをしていて、私も自宅で仕事をしているので、母の面倒を見る時間を確保するのは困難ではないかもしれません。
ただ、このようにして仕事と介護の両立をさせるために、生活が一変してしまうことがあるというのはよくわかりました。
母が倒れてわかったこと
当たり前のように洗濯をしてくれて、当たり前のようにご飯の支度をしてくれて、気づいたらトイレもピカピカになっていて・・・。
専業主婦はどんなに頑張って家事をこなしても誰もほめてくれない。
こんな話を聞くこともあります。
母が倒れてから家族で家事を分担していますが、夕食の献立ひとつを考えるのですら毎日では大変なことです。
母が自分の時間を家族のために使っていてくれていたことが、今になって本当によくわかります。
母に対する感謝の気持ちが足りなかったなと・・・。
これから私が母にしてあげられることをたくさん考えていきたいと思っています。