こんにちは。
ツレ・こーぎーをこよなく愛するらっこです。
こぎ母(ツレ・こーぎーの母)が野菜を切ってくれ、カレーができあがりました。
ルーは、こぎ母が倒れる前から買ってあったゴールデンカレー。
なんだか本当に黄金の味がしました。
脳卒中で倒れたこぎ母、4ヶ月目の回復の記録です。
こぎ母が倒れて入院して以来、わたくしらっこが家の食事を担当するようになりました。
倒れるまでは、ほぼすべての食事の支度から片付けをこぎ母がやってくださっていました。
こぎ父(ツレ・こーぎーの父)は、私にも何かをさせてこぎ母の負担を減らしてあげたいという思いがあったようでしたが、こぎ母からは、
「自分でやれるうちは自分でやりたいの。
らっこさんはやらなくていいから。
できなくなったら、その時はお願いします」
そんな風に言われていました。
お皿洗いだけでもやりますと申し出ても、
「自分でできるから大丈夫」
そう言われたら、
「はい。お願いします。ありがとうございます」
と返して、やってもらうばかりでした。
お勝手・お台所は、こぎ母のお城でした。
突然の入院、手術、リハビリ病院への転院、退院、自宅でのリハビリの日々。
誰から聞いた話なのか、なんなのか定かではありませんが、こぎ母がリハビリ病院に入院しているとき、包丁を使い誤って指を切ってしまった人の話を聞いたらしいです。
入院中は、包丁を使うリハビリ訓練を
「包丁を見るのも怖い。やらない!いやだ!」
と頑なに拒んだそうです。
退院してからも「包丁はやらない」としばらく拒んでいましたが、やらないという言い回しを聞いていると、
「もしも自分が包丁を使って怪我をしてしまったら、余計に家族に迷惑をかけることになるから、迷惑をかけたくないからやらない。
怖いことは怖いけれど、料理をしたくない・包丁を使いたくないという気持ちではない」
という風に私には聞こえました。
包丁を使わずにできること、お米研ぎや、大根の葉っぱを洗ってもらったりしながら、一緒にお勝手に立つ時間を少しずつ増やしていきました。
初めてデイサービスに行った月曜日のことです。
昼食のあんかけ焼きそばを作るレクリエーションがあったらしく、家に帰ると少し興奮気味に報告をしてくれました。
「包丁使ったよ。白菜を切ったの。お肉を焦がさないように炒めるのが大変でね」
こぎ母の話の内容は、繰り返しや行ったり来たりで何が本当かはわかりませんが、施設の方が調理風景を写真に撮って連絡ノートに添えてくれていたため、包丁を使ったことは間違いないようでした。
あんなに怖がっていたのに。
「もうね、包丁全然怖くないよ。どうしてあんなに怖かったんだろう。今はどうして平気なのかしら」
ご自分で言いながら、本当に不思議そうにしていました。
夕ご飯の支度の前、お米を研ぎ終わったこぎ母に、「ほかにやることはない?包丁以外で」そんなリクエストをもらうことも多くなりました。
申し訳ないのは、リクエストをもらっても、こぎ母の現状に即した適切な提案・調理の補助への参加呼びかけが、私には難しいことです。
「野菜洗うくらいならできると思うよ」
と言ってくださり、やる気満々のこぎ母に、
「それじゃあ、大根洗ってもらえますか?」
と言った私です。
「大根は重たいから、ちょっとやめておくね。
左手で持つのが大変だから」
ああ。
すみません。
そうでした。
左半身に不自由が残るため、左手で重たいものを持つのが困難なこぎ母に、それはそれは大きな大根(近くに住むこぎ母の弟さんが育てた大根)を洗ってくれって……
お勝手に立つこぎ母の姿は、しゃきんとしてあまりにしっかり立っているので、なんでもできてしまうような気がしていました。
そんなこんなでも、日々、何か料理を作りたい欲求にあふれているような気配を感じていました。
これはもう、やる気が爆発寸前なのでは?
そんな気がした土曜日の午後、「カレー、作ってみますか?一緒に」
提案してみました。
「うん。いいよ」
あっさりOKです。
少しずつやる気が出始めていたらしい頃、
「最初に包丁を使って作るのは、カレーがいい。決めた。カレー作りたい!」
と言っていたので、カレーです。
野菜を洗って、包丁を使って切ってもらいました。
こぎ父から聞いた、訪問リハビリで通ってくださっている作業療法士の話によると、空間認知がうまく出来なくなっているらしいのですが、野菜を洗うのは時間がかかるだけでそれほど大変ではなさそうでした。
切る方です。
切る方。
もう、どう説明したらいいのか!(冷や汗)
万が一、万が一ですよ。
ザクッてやったらザクッとやれちゃう包丁ですから。
私にはわからないのです。
何十年も家庭で包丁を握っていた方が、今、何がわからなくなっているのか。
途中、心配になったらしいこぎ父がお勝手来て背後からそっと見守っていました。
ただ、わからない私でもわかるのは、こぎ母が一生懸命包丁を握ってくださっていることと、やれることへの自信と喜びでした。
切るもの切ってもらってお鍋に入れたら、水を計り、投入。
ルーの箱に書いてある分量・1400mlを入れたら、なん・・・か少ないような気がして、お水増量。2000ml入れてみました。
(お鍋が大きかっただけで、たぶん、1400mlで済ませればよかったのでしょうに……)
「火をつけましょう」
ガスコンロの着火も、やり方を忘れてしまっているのですね。
「押して、こう一気に」
「こう?」
一回目は不完全燃焼でしたが、二度目で無事着火。
ついでに、並行して私が用意しておいたお味噌汁のお鍋も着火してもらい、
「後の火の番は私がやりますね」
と言って選手交代です。
こぎ父は、一仕事終えたこぎ母をテレビのあるお部屋で休憩させようと思ったようでしたが、こぎ母は、「ここで出来上がるの待ってるよ」と言ってお勝手の椅子に座ってしまいました。
そのまま待っていてくださることに。
できていたことができなくなり、またできるようになったことへの喜び。
嬉しかったんでしょうね……
「カレーを作ったときは、〇〇さんも呼んで食べようって言っていたよね。呼びましょう。お父さんに電話してもらって」
そうでした。
そんなことも決めていましたね。
ご近所に住む、こぎ母と同郷のお友だちを招待することになりました。
電話をしたこぎ父は、「6時半くらいにできると思うので」と言っていました。
あと1時間。
タイムリミットができました。
こぎ母には、玉ねぎとにんじんとじゃがいもを刻んでもらったのですが、お肉を入れるのを忘れていました。
火をつけてから思い出す私。
「カレーを作るんだったら、牛肉がおいしいんじゃないか~」
包丁を使って最初に作るのはカレーに決めた、と話していた時、材料の買い出しがどうのと話が及び、ツレが牛肉をすすめていました。
普段、こーぎー家で買うのは豚肉だったので、珍しく牛肉を買う機会ができたかと思っていましたが、ほとんど突発的にカレー作りを決行したので、牛肉は買っていませんでした。
牛肉の代わりに、二日前に珍しく買ったウインナーソーセージが、カレーのお肉です。
一仕事を終え、まな板やボールも洗ってくれて、椅子に座っているこぎ母に、ソーセージを切ってもらおうかどうしようか……
自分で切ることにしました。
沸騰したらアクを取り、ふたをして野菜に火が通るのを待ちます。
ルーの箱には“鍋のふたを少し開けて”と書いてあることに今気がつきましたが、まあ、煮えたんだからいいかな。いいのか?
火を止めて、ルーを入れます。
温度が高かったのでしょうか。
ルーが、ルーが、溶けてない……!(冷や汗)
とろみがつかーん(ぐすん)
カレーのお鍋の隣の炊飯器では、ごはんがたけたことを知らせる「ピー」音が鳴りました。
炊けちゃったよごはん。
おいしく出来上がるはずのカレーを待っているこぎ母に背を向け、さらさら汁のカレーのお鍋を、「ぎゃひー。ルーよ。溶けてくれい……!」心の中で叫びながら、お玉と木べらで必死に溶かしました。
じゃがいもの型崩れを気にしている場合ではないので、木べらでぐるぐるかき混ぜて、水を増量した分、用意しておいた水溶き片栗粉を加え、かき混ぜながらとろみがつくのを待ちます。
よかった。
なんとかとろみがついたカレーができました。
玉ねぎのサラダと解凍した枝豆、野菜たっぷりのお味噌汁と、らっきょうの甘酢漬け。
普段私はお酒を飲みませんが、「今日はお祝いだね」と言って、こぎ父がビールを注いでくださいました。
急に呼ばれたご近所さんも来てくださり、いつもよりにぎやかな夕食を、こぎ母のカレーをみんなでいただきます。
カレンダーを見ると今日がちょうど、入院した日から4ヶ月と1日、こぎ母が作ってくれた最後のカレーが、最後じゃなくなった日になりました。
両手を合わせて、
「いただきます」
作りながら冷や汗をかいた瞬間もありましたが、ゴールデンカレー、確かにゴールデンな味のカレーでした。
水を増やしてたくさん作ったので、もう2,3日、いただきますね。
「ごちそうさまでした」