2019年の年末。
こぎ弟さん(ツレ・こーぎーの弟さん)一家3人が、こーぎー家に来てくださり、お昼をご一緒する予定のその日。
今日くらいは綺麗な顔にしてお迎えしようと、白粉をはたくために鏡を机に置いて、鼻を一生懸命かいでいた朝。
「らっこさーーーん。ちょっとお願いします―――」
こぎ父に呼ばれました。
何事かと呼ばれたお勝手に行くと、なるほど。
「お母さんが勝手に出しちゃったんだよ。しまえなくなってしまって。これ。お願いします。
全部らっこさんが整理してくれたんだから、触っちゃだめだよ!
余計なことしちゃだめだ!
止めなさいっていつも言っているでしょ!」
「みんなで、おそろいの茶わんを使えるようにと思って……」
食器棚の前に膝をついて、大きなサラダ鉢をしまえなくなってカッカしているこぎ父と、食器棚から離れてしゅんとしたこぎ母がいました。
認知症の人の行動として、モノを探してあちらこちらひっくり返すように取り出してしまうような行為は、珍しいことではないそうです。
こぎ母も、何かを探して、だけど、どこにしまったのか思い出せなくて、思いついたところを探そうとしたんだと思うのですが、どこまで何を出したのかわかりませんが、こぎ父にみつかって、今に至っているようでした。
こぎ父は、この、こぎ母の「もの探し」がかなり苦手なようです。
きっちりしたいこぎ父は、探すためにひっくり回されるのが耐え難いのかもしれません。
こぎ母が「もの探し」をした後には、ずいぶん平静でいられない様子になります。
こぎ父がいない間に、こぎ母がタンスの引き出しから派手に中身を出していたことがあったのですが、ツレとふたりで、しばらく様子を見てみよう、と、声もかけず、放っておいたことがありました。
しばらくして様子を見に行くと、ご自分で中に戻しているのを、ツレと見ました。
自分でしまえないわけじゃないんだね。
ツレと気がつきました。
きっちり丁寧に、入っていた通りに戻しているわけではなかったかもありませんが、全部しまい終わると、何事もなかったように(実際何事もない)過ごすこぎ母。
こぎ父には、この「放っておく」ができないのでしょう。
何かの中身を出しているところを見つけると、その場で即刻中止させるような、その後しまうのは、全部こぎ父がやるような。
苦しそうです。
ケアマネージャーに相談したこともあったそうですが、「しょうがない」ではなかったかもしれませんが、こぎ父の気が軽くなるようなアドバイスはもらえなかったようでした。(記憶が曖昧です)
この時は、お昼に来客があるというのに、散らかされては困るというのもあったでしょう。
「かわいそうだけど、きつく言わないとだめだ!」
苦しそうに吐き出していました。
しばらくすると、こぎ父の気もおさまったようでした。
こぎ母は一生懸命、こぎ父が摘んだ庭に咲いた小菊のスケッチをしていました。
探していた茶碗を探すのを諦め、何か準備をすることも諦め、一生懸命。
お昼の準備を、何かこぎ母と一緒にやろうかとぼんやり考えていたのですが、スケッチもひと段落したこぎ母に、「お昼の準備をらっこさんと一緒にする?」とこぎ父がたずねると、
「何かやってこぼしちゃったりしたら迷惑だからね。余計なことしないように、やらないでおく」
と、別の部屋に引っ込んでいかれました。
こぎ父も、「そう」とだけ。
らっこも、ナニコレやってくださいとも言わず。
こーぎー家には、食器がお好きらしいお二人が数年来集めたり、頂いたりした食器がた―――くさん、あちこちにある状態です。
脳出血で倒れる前から、ご自分でもどこに何をしまったのかわからなくなったりしていたようなのですが、退院してからは、尚更いろいろなことを忘れてしまっていて、どこに何があるのやら。
見える範囲で、らっこがひとりで、時にツレも一緒にあちこち整理をして、モノの場所がさらに変わっていたりもして、たぶん、余計にわからないはず。
茶わんを探そうと、食器棚の下の引き戸を開けてお店をひろげてしまったこぎ母。
茶わんはそこにはないだろう……
こぎ母が探していた場所を見て、呼ばれていったときにらっこはそう思ったのでしたが、これ、間違いでした。
この文を書いているときに、思わず声を上げてしまったのです。
「ああっ、そうか……」
ツレがどうしたのかと聞いてくれたのですが、たぶん、たぶんですが、こぎ母が探していたであろう「茶わん」に思い当たったのです。
お正月に出してもらった記憶のある、福茶碗。
おかめさんの顔が書かれた可愛らしいお茶碗を、そこにしまっていたことを思い出しました。
棚の下を整理しているときに、
「これはこぎ母が何度か出してくださっていたお気に入り(たぶん)だろうから、これはこのままここに置いておこう」
とかなんとか考えて、場所は変えずに、ブロックのように重ねて詰め込んだあの一角。
そうだ、あそこにあったんだと。
「お正月を前に、あのお茶碗を出そうとしたんですよ。たぶん」
明日出そうかと二人で話して、いや、やっぱり今出しましょう、と二人で探しました。
普段あけることの少ない食器棚の下の引き戸を開けると、
出た。
福茶碗。
右下の白い箱です。
箱に入れたり、紙で包んだり、中に何が入っているのかわかりにくい状態のものが圧倒的に多いこぎ母の食器棚の中にあって、はっきりとメモ書きしてあるもの。
わかりやすく「ふくちゃわん」と書いてあるのを見て、整理しながらほかの場所にしまい込むのを止めたんでした。たしか。
さっそく、ツレに取り出してもらうと、
「5個しかないぞ?」
はて?
皆でおそろいの茶わんを使いたいと言っていたこぎ母の言葉につられて、人数分か、それ以上あるのかと思ったら、5個?
何個かを別の場所にしまっている可能性もないわけではないのですが、お正月用で、しかも人数が増えるのがわかっている時に使うのであれば、分けたりはしないだろうと、5個で納得して、洗って出しておくことにしました。
朝、もしかしたら、こぎ母もご自分で何を探しているのかわかっていなかったのかもしれませんが、らっこが、こぎ母が探しているのがこれだと気がつけば、一応、まったく苦労することなく、慌てることなく、騒ぐことなく、「あ、はい、出しますよ」と言って出せたんですがね。
こぎ父も、正月用の茶碗って覚えていたら、気がついたかしら……?どうでしょう。
もう、過ぎてしまいましたから。
結局、お昼はらっこの不手際でツレに全面的に助けてもらって、遅い昼食を7人でいただきました。
賑やかな昼食を終えて、みんなでまったりしながら休んでいた時、こぎ母がこぎ弟さんに、
「またバカやって迷惑かけて。やっちゃいけないことしちゃって、お父さんに『やうやうやうやい』怒られて」
と、ご自分のことをご自分の口で話していました。
やはり何事も、その瞬間の様子を見ていない人に状況を説明するのって、簡単なことではないと思います。
でも、話しをする相手がいる日でよかったのかもしれません。
明日の朝、こぎ父かこぎ母が福茶碗に気がついて、何を思うでしょうか。
まあ、こぎ母が探していたお茶碗というのも、まったくほかのものだったりするかもしれませんけど。
うん。
まあいいさ。
最後まで読んでくださり、ありがとうございます。
追記
翌朝、こぎ父から、
「らっこさん。お正月のお茶碗、どうもありがとう」
と言われました。
やっぱり、探していたお茶碗だったようです。
お正月にだけ使ってきたおかめさんだそうで、さっそく朝から使ってくださっていました。
このお茶碗。
急須でお茶を入れると、お茶の濁りが底にたまって、おかめさんの顔にひげができたりするんです。
ちょっと笑えるお茶碗です。
写真を撮っていなかったので、かわいい顔ができたら撮っておきます。
お楽しみに~。
追記その2
というわけで、かわいいかどうかはともかく、お正月のおかめさんの顔です。
何もしなければこんな感じです。
ちなみに、飲んでいるのは急須で入れた煎茶です。
綾鷹ではありません。
注ぎ足しをして欠けたお顔です。
ズビューン。
ながーいあごひげ。
無精ひげ。
なぜか悪人に見えます。
泥棒の無精ひげ。
ひょっとこ。
あごの下から触手が……
風がなびいたのかい。
出がらしだと、濁りが少なくてつまらないわ。
清志郎さん?
らっこが飲み終えるときは、湯飲みをくるくる回して濁りまできれいに飲むようにしています。
こういう時はつまらないですね。
七草も過ぎ、福茶碗はまたしまい込みました。
おかめさん。
次のお正月まで、どうぞ待っていてくださいね。