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悲しんだっていいんじゃないのか…?|らっこ

それは、こぎ母が3泊4日のショートステイに出発する日でした。

こぎ父が小声でらっこに伝えてくださったのは、

こぎ母が慕う恩師の訃報でした。

 

「お母さんには当分――」

しっ

いつまで伝えずに過ごすつもりでいるのかまでは聞きませんでしたが、らっこも黙ってうなずきました。

こぎ父なりのお考えがあってのことなのでしょう。

そうとはわかっているのですけれど、わかっているけど、それじゃあいつまで?

いつまでこぎ父は「知らせない」という嘘をつき続けるのだろうかと考えてしまいます。

 

 

悲しませたく、ない、のかな……

 

 

何のための?誰のための嘘なのだろう。

グルグル頭の中で考えた結論。

知らせたくないこぎ父に対して知らせてあげたいと思うらっこは、自分が楽になりたいだけなのかもしれないということ。

嘘をつきたくないということ。
(知っていることを知らないふりして伝えないことも嘘の内)

 

訃報を知ったこぎ母が、いったいどんな風に反応するかなんてらっこにはわかりません。

わかりませんけれど、知ったからこそできることがあるんじゃなかろうか。

 

手を合わせるとか、昔のことを思い出すとか。

友だちと、先生のことを想って話をするとか。

偲んでそっと涙を流すとか。

悲しくてわんわんなくとか。

 

そんなふうな何かをすることで、大好きだった方を心の中で見送るということをこぎ母にやらせてあげたいのだと、嘘をつき続ける度胸の無いらっこは考えるのでした。

 

自分だったら、そうしたかったなって。

結局全部自分中心。

 

こぎ父は、こぎ母がショートステイで不在の間、先生に会いに行けなくてもできることをサッと済ませて、お気持ちの整理もされたのかもしれません。

 

らっこはこぎ母の恩師さんとはまったく面識はなく、あってもお電話をいただいたときにらっこが出たことが1回くらいでしょうか、あったようななかったような。

こぎ父がいない時だったかな?すぐに替わったのだったろうかな?

不思議と、こぎ父やこぎ母との電話で漏れ聞こえていた話し声が記憶に残っています。

お話の内容は覚えていいないのに、声だけ覚えているのです。

不思議なものです。

 

こぎ母が先生に、

「せんせ~い!

お会いしたいです~!」

と何度も言っていたあの声も、声のトーンもはっきり覚えています。

きっともう、聞くことはないのだろうというあの声を。

(こぎ母が、大好きで慕っていらっしゃる先生がもうお一人いらっしゃるのですけれど、最近連絡がつかないのです)

らっこの祈りはこぎ母の代わりにはなりませんけれど、こんな時には祈りたいと思います。

生きとし生けるすべてのものと、生きとし生けないすべてのものが安寧であれますようにと――

合掌

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