こぎ母がこぎ父に尋ねていました。
急にご自分の正しい年齢を知りたくなったのでしょうか。
正しい年齢を。
トシナリの物忘れなのかどうかよくわかりませんが、脳出血の後遺症に見当識障害が表れているのかとらっこは考えています。
あくまで素人が考えているということを前提に読み進めてくださいませ。
こぎ母の通院にらっこは同行しないので、医師が何と言っているのかを知りません。
加えて、最近分かってきたことなのですが、こぎ父は人に何かを伝えるときにかなり「ご自身のフィルターを通し」て発言をされるなということ。
こぎ母にわかりやすく伝えようとする結果かもわかりませんが、らっこがこぎ父に伝えたことが、90度くらい違う内容でこぎ母に伝えている様子を見ると、人の話は丸呑みしてはいけないなと思ったりするのです。
「病院で先生がなになにと言っていたよ~」
みたいな話は特に。
そんなこぎ父からは一度も聞いたことのない単語でしたが、らっこがネットで出会った言葉。
見当識。
だいぶ昔の広辞苑から引用になりますが、
【見当】 ~略~[心]自分が今、ここに、どんな状態でいるかという意識。見当識
『広辞苑(第二版)』(1973)岩波書店
とありました。
かえってよくわからない気もしますが、分かりますでしょうか。
らっこはわかりません(おい)
つまりは、
今がいつでどこでどんな状況なのかということがわかっているかどうかということ。
つまりは(2回目)
今が何年で何月で何日で何時で、ここがどこで一緒にいる人が誰でどんな状況かわかっているかどうか、
みたいなことでいいでしょうか。(誰にきいてるの?)
こぎ母が季節がわからなかったり時間がわからなかったりする症状を検索していて出会った言葉です。
単純に、そういう症状に名前が付いているということがわかっただけでも少し、ほっとした部分がありました。
自分の年齢がわからなくなることもこのくくりに入っているようで、つまりは見当識障害という名前が付いているようです。
障がいなんだなあと。
はい。
こぎ父は、以前はよく「思い込みだよ」とこぎ母本人ではなく、その場にいるほかの誰かにこぎ母の話す見当違いの内容を「思い込み」という言い方をしていだのでしたが、障がいということは思い込みとはたぶんちょっと違うんでしょうね。
見当識障害で思いこんじゃっている?
みたいな?
以前はもう少しときどきではありますが、ご自分の年齢や生年月日を覚えていることもあったような気がするのですが、最近は生年月日は言えても年齢は言えないことが多い気がしています。
ただまあ、生年月日が言えても今日が何年何日かわからないので何歳かわからなかったりするようです。
こぎ母がなんでその時は『正しい年齢』というきき方をしたのかわかりませんが、ツレとらっこは『正しい?!』というきき方にクスリと和ませてもらいました。
今日が何日か、今が朝なのか昼なのか夜なのか、何時なのか、夏なのか冬なのか、毎日何度も尋ねます。
ツレかこぎ父か。
はい。
らっこはそれほどきかれません。
こぎ母自身、安心して尋ねられる相手が誰かわかっていらっしゃるのです。
安心して尋ねられる相手がいるから、わからないことがわかって不安になったときにすぐに尋ねるのでしょうか。
ツレもこぎ父も、とにかく根気よく答えています。
時間や年齢はわからないから答えればその瞬間は安心できるのでしょうけれど、『今ここの場所』がわからなかったり、別の場所とごっちゃになるのは傍で見ていて切なくもなります。
「家の前のこの道の先に田んぼがあるでしょ?」(バージョンはいろいろあります)
確認するようにツレやこぎ父に尋ねるのですが、ご自身の実家や学生時代に過ごした場所や、はたまた旅行で訪れた場所など、いろいろ混同(?)するようです。
人に尋ねて確認するということは、本当は田んぼがないってわかっているんじゃないかと最近は考えるようにもなりました。
知らんけど。
1度だけですが、こぎ母があまりにも見当違い(だからこれはしょうがないこと)なことをこぎ父に言い続けて
いたせいか、こぎ父が疲れた様子だったので、ツレが「一緒に歩いて行こうか?」と声をかけ、こぎ母とツレとらっこもついて、こぎ母が言い張る家の前の「この道の先」とやらを目指したことがありました。
ツレとこぎ母がどんな様子になるか見守っていたのですが、拍子抜けするほどあっさりと
「ここは、違う……!!」
とこぎ母が気が付いて、結局ずっと行きたがっていた「その先」には、ご自分で「もういい。行かない」と言って引き返したことがありました。
ご自分が思っていた場所とは違うと気が付いた時のこぎ母の戸惑った表情。
違うことは確信して意識ははっきりしていたのでしょうけれど、あの表情を見たらなんだか、見当違いのままでもよかったのかもしれないなあと、3ミリくらいは心が揺れました。
勘違いしているその場所に、本当はとっても行きたいという欲求の現れだったりするのでしょうか。
知らんけど。
ちょっとこぎ母の様子の記録でした。
読んでくださりありがとうございます。