こぎ母の、介護保険の認定調査がありました。
ケアマネージャーが来ることは聞いていましたが、「これからのことを相談しに来るんだよ」みたいなことをこぎ母に伝えているのを聞いていたので、毎月の家庭訪問かと思っていたら、認定調査でした。
ツレも一緒に話を聞いていたようでしたが、私は途中からの相席。
改めて、こぎ母の現状を確認する状況になりました。
「変な質問でごめんなさいね。
ここはどこですか?」
ケアマネージャーからの「変な質問」にも、一生懸命応えようとするこぎ母。
「おいくつですか?」
普段なら、年齢の話になるとなぜか「私は82歳」と言い張る81歳のこぎ母でしたが、やはり調査で質問されるといつもと勝手が違うのか、答えられなくなっていました。
考えても答えられない自分に戸惑い、驚き、言葉が出ない状況も何度か。
答えられない自分
が浮き彫りになって、心中穏やかでいられないような気配を感じましたが、私の心情がこぎ母の表情をそんな風に見せたのかもしれません。
認知機能とやらがどうにも、質問を受けることで答えられない現状が浮き彫りになりました。
かかりつけ医の診断によると、「トシナリ」なのだそうですが、同じような状態のお年寄りというのを今まであまり知らなかったので、そうなのかなあと不安に思う気持ちがあります。
体の機能はありがたいことに、立つのも歩くのも、寝返りや食事の動作など、基本ひとりで危うげなくできるように回復されたことを再確認。
ご本人は、自分が半身不自由であったことなどは忘れているようですけれどね。
「治療が辛かった」と話すことは度々あるのですが、こぎ母の言う「治療」がいつのどのことかはわかりません。
手術をしたことは覚えていないようですし、ベッドの上で、動かせない手や足をマッサージしてもらっていた時なのか。
その頃のことは覚えていないようなので、転院して、様々なリハビリを受けるようになった時なのか。
全部ひっくるめてなのか。
最近は、こぎ父が「歩くのが早い」と言うくらい、散歩のときの歩くペースが早かったりしているそうです。
そうは言っても、デイサービス以外での外出は病院以外にほとんどないこと。
散歩はされていますが、そうか、「外出はしていないんだな」ということに話を聞いて気がつく私。
話がだいたい進むと、身体機能の回復がめざましいものだったのか、
「もしかしたら、介護認定が要支援に変わるかもしれません」
ということでした。
現在は「要介護1」の認定を受けての回復を目指すプログラムだったため、要支援になった場合には、受けられなくなるサービスがあることの説明がありました。
1日通いのデイサービスでは、「要介護」の人を受け入れている施設だったようで、要支援になっても通うことはできるけれど、入浴の介助は受けられなくなること。
半日通いの接骨院で、自転車漕ぎなどの運動をしていましたが、2か所のデイサービスに通うことができなくなるため、1日通いか半日か、今後どちらかを選ぶか、新しい施設を探すなどの対応が必要になること。
デイサービスの利用料・1日単位だったものが、月単位の計算に変わること。
訪問看護は引き続き利用できるとのこと。
などなど。
必要な人に必要なサービスが行き渡ればいいと思います。
思いますけれど、せっかく組んでもらったプランで回復してきたというのに、元気になったら続けられないという不都合。
もう、よくなったから必要ないよ~
と突きつけられる現実に考えさせられます。
「もしもの話なんですけれどね?」
ケアマネージャーさんがこぎ母に、今通っている施設(1日と半日)のどちらか一つを選ぶなら、どちらがいいですか?と、どちらかにしか行けなくなった場合のことを訪ねてくれましたが、こぎ母は、困った顔で固まってしまい、こぎ父に助けを求める視線を投げていました。
意思決定を自分でするのも難しそうです。
認定結果を待つしかありませんから、結果次第でどうするかのパターンを提案してもらい、ひとまずの調査は終了となりました。
遅かれ早かれ、結果次第でどのようにするのがいいか、考えることになりそうです。
介護保険を利用している人の家族は、定期的にこういう時間を過ごしているのですね。
抱え込みがちなこぎ父の負担が、どうにかやわらげばいいのに。
ツレが手を出そうとしても、「わたしがやるからいい」と言って、ご自分でみんな抱え込んでいる部分があるように見えています。
認定の調査でも、こぎ母への質問に、こぎ母の返事を待たずにこぎ父が全部答えてしまうこともあったり。
考えのまとまらないらっこの頭です。
読んでくださり、ありがとうございます。