『あのとき、すぐに病院へ連れて行っていれば違う結果になったかもしれない・・・。』
夕食の席で、父が私と連れにつぶやいた言葉です。
脳卒中で緊急入院してから9日目経っても、母の左手、左足はまだ麻痺状態が続いています。
父はそれだけが心残りで、同居している私たちにも相談するべきだったと後悔しています。
しかし、後悔しているのは父だけではなく、同居していながら風呂場で様子がおかしくなった母に気づいてあげられなかった私たちも同じです。
風呂場と仕事部屋はさほど離れておらず、風呂場から父を呼んでいたらしいので、私たちもなぜ母の声が聞こえなかったのだろうと後悔しています。
『今思えば・・・』ということには、生きていれば何度も遭遇することになると思いますが、なかなか前向きに考えることが難しいこともあります。
このページでは、80歳の母が脳卒中で倒れてしまい、父と私、そして私の連れとの3人の心の葛藤を綴っています。
家族の後悔
私の家は両親と私と連れの2世帯で暮らしているのですが、2世帯住宅というわけではなく、ひとつ屋根の下同居しています。
両親はともに年金生活をしていて、私と連れは仕事部屋で仕事をしています。
脳卒中で倒れる前の母は、家事全般をしてくれていたので、寝る前に入るお風呂の時間はいつも午前零時近くでした。
今思えば、家族の食事作り、洗濯、掃除など、私たち家族が手伝えることがたくさんあったんじゃないかと後悔しています。
私の仕事がここ一年ほど思わしくなく、ずっと仕事にかかりきりだったということもあるのですが、80歳の母に家事一切をまかせっきりでした。
4人分の食事、洗濯、そしてトイレの掃除も毎日欠かさずしてくれていたのを見ているので、せめてトイレ掃除ぐらいは私がするべきだったと思います。
父の後悔
母は以前にも一度、すごく疲れたといって寝室に座り込んでしまったことがありました。
そのときは一晩休むと翌朝にはすっかり体調を取り戻しており、おそらく父は今回もとりあえず寝かせるのが良いと思ったのでしょう。
風呂場で蛇口の場所がわからなくなり、父に助けを求めたということなのですが、おそらくその時には脳内出血が始まっていたのかもしれません。
つまり、目が見えづらくなっていたのです。
80歳という年齢を考えると、突然目が見えなくなるというのは脳に何かが起きていることを疑うべきでしょう。
父は、せめて私と連れに相談していれば、『今すぐ病院に』という話になり、左半身の麻痺ということにはならなかったのではないかと後悔しているのです。
『一晩寝かせて様子を見た』ことが左半身の麻痺につながったのかどうか、正確なところはわかりません。
ただ、脳内出血については、処置を始めるのが早いほど障害が残りにくいのは確かなようなので、父にとっては忘れることのできない後悔であることは間違いないでしょう。
私と連れの後悔
『身体が動くうちは私にやらせて』と、連れを気遣って家事をひとりできりもりしてきた母ですが、母が入院してから主婦の仕事がどんなに大変なものかを痛感しています。
食事の支度で盛り付けなどを連れが手伝うことも多かったのですが、洗濯や掃除など、自分たちにできることはもっとあったはずだと今は感じています。
私が家でしていた家事と言えば、車を出して買い物に行くぐらいでした。
母は肺がんを患ってから、ようやく体力も回復してきた時期だったので、もっと色々なところに連れて行ってあげたりもしておけばよかったと思っています。
何よりの心残りは、母が風呂場で身体の様子がおかしくなったことに気づいてあげられなかったことです。
80歳という年齢を考えると、2月という季節柄とくに風呂場でのヒートショックなどに注意が必要と言います。
母が風呂に入っている途中に声をかけるなどしていれば、様子がおかしいことに気づいてあげられたかもしれません。
そのとき、視野狭窄などの症状があるかもしれないと感じたら、おそらく病院に連れて行ったのかなぁと思います。
すべて、『今思えば・・・』ということになってしまうのですが、いつも元気な姿を見ていた分、母が高齢であるということへの意識が足りませんでした。
家族の役割
母が入院してから、我が家の生活は母のことを最優先にしたスケジュールになっています。
現役を引退している父は、14時からの面会時間に合わせた毎日を送っています。
私の連れが炊事と洗濯を引き受けてくれ、私はトイレ掃除と夜の母の歯磨き担当になりました。
母の入院当初は家族全員で病院へ面会に行っていたのですが、やはり家のことをほったらかしにはできず、役割を分担して母の留守を守りたいと思います。
母が家に帰ってきたときに気持ちよく暮らしてもらえるよう、キッチンや風呂場の清掃なども少しずつですが進めています。
母のことも心配ですが、現在毎日バスで病院へ面会に出かけている父の疲労も心配ではあります。
『介護疲れ』という話も聞いたことがありますが、父にも何か息抜きができるような状況を作ってあげられないかと考えています。